フランシスコ_(ローマ教皇)
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2005年9月、少数の枢機卿による非公式の日誌が公表され[35]、そこでは、ベルゴリオ枢機卿が、新教皇の最有力候補であったラッツィンガー枢機卿の主要な挑戦者として取り沙汰されていた。件の日誌では、3回目の投票でベルゴリオは40票を獲得し、4回目にして最後の投票で26票と数を落としたと主張されている[36]。イタリアの有力紙『ラ・スタンパ』は、選挙の間、ラッツィンガー枢機卿に対してベルゴリオ枢機卿が譲歩の姿勢に終始していたとし、ベルゴリオ枢機卿が枢機卿団に対して自分に投票しないようにと感情的な請願を出すにまで至ったと報じている[37]。結局、このコンクラーヴェでは、ベルゴリオの得票数はラッツィンガー枢機卿の次席となり[38][39]、勝者となったラッツィンガー枢機卿は教皇ベネディクト16世として2013年まで在位した。

2005年の司教の教会会議で、次回教会会議のメンバーに選ばれた。また、同年11月8日に、ベルゴリオはアルゼンチンの司教の多数によってアルゼンチン司教会議の議長(任期3年)に選出され、さらに2008年の11月11日には、議長に再選された。

枢機卿選出後のアルゼンチン国内での意見は分かれていた。ベルゴリオを支持する者はその禁欲的な生活を尊敬するが、同性結婚に関する彼の意見に拒絶反応を示したり、1970年代の軍事独裁政権に対する批判を不十分として遺憾とする者もいた[30][40][41][42]。未婚の母やエイズ患者に手をさしのべて社会正義を実現しようとする革新的施策を打ち出す一方で、妊娠中絶や避妊に反対する保守的な立場をとる新教皇について、アルゼンチンの歴史家エルサ・ブルソネは「保守と改革の両面性を持つ」と分析している[43]
教皇選出教皇フランシスコの紋章。青のフィールドに金(オーア)と赤(ギュールズ)(IHSの文字と十字架)と黒(セーブル)(3本の釘)でイエズス会の太陽の紋章。それにそれぞれ金と黒の描線で描かれたマリアの象徴としての星とヨセフの象徴としての甘松(英語版)(ナルド)の果実を配している。前のベネディクト16世と同様にヘルメット三重冠の代わりにミトラを戴いている。サポーターは赤の組みひもがある金と銀の天国の鍵である。ヨハネ・パウロ1世以来モットーが復活した。表地が銀(アージェント)、裏地は赤のリボンに黒で"MISERANDO ATQUE ELIGENDO"のモットーが書かれている。

ベネディクト16世が2013年2月28日をもって辞任したことを受け、その後継を選ぶために同年3月12日より実施されたコンクラーヴェにおいて、翌3月13日、新教皇の選挙権を持つ80歳未満の枢機卿115名による5回目の投票で新教皇に選出された[39]。コンクラーヴェ開始前、ベルゴリオはすでに76歳と高齢であり、マスコミからは新教皇の有力候補とは見做されていなかった。そのため、新教皇としてベルゴリオの名前が発表された時には、各国のマスコミは大きな驚きをもって彼の名前を報道した。彼はマスコミの事前予想を完全に覆し、新教皇の選出に必要とされる枢機卿全体の3分の2を大きく上回る90票以上の得票をもって選出されたという[44]

教皇の紋章銘であるラテン語の“Miserando atque eligendo”(憐れみをかけ、そして選び出す)は、聖ベーダ・ヴェネラビリスの説教の言葉から取られている。聖書時代には蔑まれていた徴税人という職業に就いていたマタイに関し、聖ベーダは次のように解説している。「イエスは徴税人(マタイ)を見つめて『憐れみ、そして選ばれ』、わたしについて来なさいと言った」[45]。つまり、イエスは慈しみ(miserando)、そしてマタイを選んだ(eligendo)わけだが、このマタイの召命に関して、それは「因習的な感覚から離れた、慈悲に基づく人間への深い理解からだった」と新教皇は説明している[46]。マタイの召命にまつわる紋章銘が選ばれたのは、1953年の聖マタイの祝日に、17歳の青年ベルゴリオが修道生活への召命を受ける特別な体験が深く関係しているという[47]

フランシスコは史上初のアメリカ大陸出身のローマ教皇であり、史上初のイエズス会出身の教皇である[48]。長らく日本で教鞭を執っていて、就任当時はイエズス会総長を務めていたアドルフォ・ニコラスは「我々がいま知ることになった教皇の『フランシスコ』という名前は、貧しい人々への近さという福音的精神、素朴な人々との一体感、そして教会刷新への献身を想起させるものである」とし、その「質素、謙虚さ、豊富な司牧経験と霊的深さ」を称賛して[49]、イエズス会初の教皇選出を歓迎した。なおイエズス会ということで修道司祭出身者が教皇に就いたわけだが、これはグレゴリウス16世以来167年ぶりであった。

さらにヨーロッパ以外の地域の出身者がローマ教皇に就くのは、シリア出身の第90代のグレゴリウス3世(在位:731年3月18日 - 741年11月28日)の死去以来、1272年ぶりである[39]。また初めて「フランシスコ」を名乗るローマ教皇でもある。イタリア系アルゼンチン人であるベルゴリオ枢機卿[50]が新教皇に選ばれたのは、「新教皇はヨーロッパ以外の出身者を」という時代の要請と「新教皇はヨハネ・パウロ1世以来35年ぶりにイタリア人から」というバチカンのおひざ元イタリアの願望の折衷案ではないかとする指摘がある。この選挙結果に関しては、カトリック教会の国際化の表れであり大きな変化だと捉える意見と、アルゼンチンは南米で最もヨーロッパ的な国でありフランシスコはヨーロッパの伝統を継承した白人であるので、ベルゴリオが教皇に就任しても、ヨーロッパ人の伝統的な宗教としてのカトリック教会の性格に変化はないととらえる二つの対極的な意見がある[50]
ローマと世界に向けて2013年3月のコンクラーヴェの後、サンピエトロ寺院のバルコニーに教皇として初めて公に姿を現したフランシスコ。先2代の教皇のように臙脂のケープを着用していない。金の刺繍のストラも着用していないが、向かって右奥に控える儀典長グイド・マリーニが所持しており、このあとの祝福のときだけ着用している。

またベルゴリオは、教皇の辞任という600年ぶりの異例の中で開催されたコンクラーヴェで選出された教皇である。このような「異例ずくめ」は、教皇選出後に信徒に向かっての第一声「ウルビ・エト・オルビ」(ローマの聴衆と全世界に向けて授ける祝福)にも表れた。まず彼は人々の前に純白のケープ付きキャソックカロッタのみ、すなわち「普段着」のまま現れたのである。

「兄弟姉妹の方々、こんばんは。…ご存じのようにコンクラーヴェの義務はローマに司教を与えることですが、兄弟である枢機卿団は、ローマの司教を得るために世界の果てまで行ってきたようです」「何よりもまず、名誉教皇ベネディクト16世に主の祝福と聖母のご加護がもたらされるように祈りましょう」[51][52]

と、彼は、自分がヨーロッパ以外の出身であることに言及し、さらに辞任した前教皇への気遣いを示した。

「私たちはこのローマ教会の旅路を、兄弟愛と愛と信頼とによって、司教と信徒とが一緒になって歩み始めます。大いなる兄弟愛を以って世界中で共に祈り合いましょう。この道は必ずや新しい福音宣教の実を結びます」と司教と信徒との協働を宣言した[51][52]


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