フランシスコ_(ローマ教皇)
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宣教活動視察のため、1987年に来日している[25][26]
司教時代

ベルゴリオは1992年5月20日に、ヨハネ・パウロ2世[注釈 6]によりブエノスアイレスの補佐司教およびアウカの名義司教[27]に任命され、同年6月27日にアントニオス・クアラチノ(スペイン語版)枢機卿(ブエノスアイレス大司教)の司式によって司教に叙階された。1997年6月3日にブエノスアイレス協働大司教に任命され、翌1998年2月28日、クアラチノ枢機卿の死去により後継としてブエノスアイレス大司教となった[13]。また同年11月6日より、アルゼンチン居住の裁治権者(英語版)をもたない東方典礼カトリック教会信者の裁治権者を兼任した[28][29]
枢機卿時代枢機卿としてミサにて。 (2008年)
右はキルチネル大統領

2001年2月21日にはヨハネ・パウロ2世によってベルゴリオ大司教は聖ロベルト・ベラルミーノ教会(英語版)の枢機卿に任命された。枢機卿として、ローマ教皇庁の以下の5つの管理職的な地位に就いた。

典礼秘跡省 委員

聖職者省(英語版)委員

奉献・使徒的生活会省(英語版)委員

家庭評議会(英語版)委員

ラテンアメリカ委員会(英語版)委員

2001年9月11日にニューヨーク大司教(英語版)であるエドワード・イーガン(英語版)枢機卿がアメリカ同時多発テロ事件ののち急遽帰国した秋に、ベルゴリオは教会会議で、書記として彼の代理を務めた。『カトリック・ヘラルド』によると、「交わりと対話に開放的な人物として好ましい印象を醸し出した」という[30][31]

宮殿のような司教館ではなく小さなアパートに居住し、お抱えのリムジンの使用を拒否して公共交通を利用していたベルゴリオ枢機卿は[32]、個人的な謙遜と教義上の保守主義と社会正義への関与で知られるようになった[33]

ベルゴリオ枢機卿は、2005年にヨハネ・パウロ2世が死去した直後の使徒座空位の間には、聖座とローマ・カトリック教会を暫定的に統治する枢機卿団の一人になり、新教皇を選出するコンクラーヴェに選挙枢機卿の一人として参加した。

カトリック系のジャーナリストのジョン・L・アレン(英語版)によれば、ベルゴリオは2005年コンクラーヴェにおいて、新教皇の有力候補の一人であったという[33][34]2005年9月、少数の枢機卿による非公式の日誌が公表され[35]、そこでは、ベルゴリオ枢機卿が、新教皇の最有力候補であったラッツィンガー枢機卿の主要な挑戦者として取り沙汰されていた。件の日誌では、3回目の投票でベルゴリオは40票を獲得し、4回目にして最後の投票で26票と数を落としたと主張されている[36]。イタリアの有力紙『ラ・スタンパ』は、選挙の間、ラッツィンガー枢機卿に対してベルゴリオ枢機卿が譲歩の姿勢に終始していたとし、ベルゴリオ枢機卿が枢機卿団に対して自分に投票しないようにと感情的な請願を出すにまで至ったと報じている[37]。結局、このコンクラーヴェでは、ベルゴリオの得票数はラッツィンガー枢機卿の次席となり[38][39]、勝者となったラッツィンガー枢機卿は教皇ベネディクト16世として2013年まで在位した。

2005年の司教の教会会議で、次回教会会議のメンバーに選ばれた。また、同年11月8日に、ベルゴリオはアルゼンチンの司教の多数によってアルゼンチン司教会議の議長(任期3年)に選出され、さらに2008年の11月11日には、議長に再選された。

枢機卿選出後のアルゼンチン国内での意見は分かれていた。ベルゴリオを支持する者はその禁欲的な生活を尊敬するが、同性結婚に関する彼の意見に拒絶反応を示したり、1970年代の軍事独裁政権に対する批判を不十分として遺憾とする者もいた[30][40][41][42]。未婚の母やエイズ患者に手をさしのべて社会正義を実現しようとする革新的施策を打ち出す一方で、妊娠中絶や避妊に反対する保守的な立場をとる新教皇について、アルゼンチンの歴史家エルサ・ブルソネは「保守と改革の両面性を持つ」と分析している[43]
教皇選出教皇フランシスコの紋章。青のフィールドに金(オーア)と赤(ギュールズ)(IHSの文字と十字架)と黒(セーブル)(3本の釘)でイエズス会の太陽の紋章。それにそれぞれ金と黒の描線で描かれたマリアの象徴としての星とヨセフの象徴としての甘松(英語版)(ナルド)の果実を配している。前のベネディクト16世と同様にヘルメット三重冠の代わりにミトラを戴いている。サポーターは赤の組みひもがある金と銀の天国の鍵である。ヨハネ・パウロ1世以来モットーが復活した。表地が銀(アージェント)、裏地は赤のリボンに黒で"MISERANDO ATQUE ELIGENDO"のモットーが書かれている。

ベネディクト16世が2013年2月28日をもって辞任したことを受け、その後継を選ぶために同年3月12日より実施されたコンクラーヴェにおいて、翌3月13日、新教皇の選挙権を持つ80歳未満の枢機卿115名による5回目の投票で新教皇に選出された[39]。コンクラーヴェ開始前、ベルゴリオはすでに76歳と高齢であり、マスコミからは新教皇の有力候補とは見做されていなかった。そのため、新教皇としてベルゴリオの名前が発表された時には、各国のマスコミは大きな驚きをもって彼の名前を報道した。彼はマスコミの事前予想を完全に覆し、新教皇の選出に必要とされる枢機卿全体の3分の2を大きく上回る90票以上の得票をもって選出されたという[44]

教皇の紋章銘であるラテン語の“Miserando atque eligendo”(憐れみをかけ、そして選び出す)は、聖ベーダ・ヴェネラビリスの説教の言葉から取られている。聖書時代には蔑まれていた徴税人という職業に就いていたマタイに関し、聖ベーダは次のように解説している。「イエスは徴税人(マタイ)を見つめて『憐れみ、そして選ばれ』、わたしについて来なさいと言った」[45]。つまり、イエスは慈しみ(miserando)、そしてマタイを選んだ(eligendo)わけだが、このマタイの召命に関して、それは「因習的な感覚から離れた、慈悲に基づく人間への深い理解からだった」と新教皇は説明している[46]。マタイの召命にまつわる紋章銘が選ばれたのは、1953年の聖マタイの祝日に、17歳の青年ベルゴリオが修道生活への召命を受ける特別な体験が深く関係しているという[47]


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