フランシスコ・ピサロ
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ペルラス諸島滞在中に黄金郷ペルーの情報を得て、探検家ディエゴ・デ・アルマグロと共に、1524年と1526年の二度にわたり南アメリカを探検し、苦労の末、都市トゥンベスまで進んだ[2]。その都市は、広大な領土を保有する国の一部であることを発見した。

1528年にスペインに戻り、カルロス1世(後の神聖ローマ皇帝カール5世)からペルー支配の許可を取った。征服の権利や搾取の特権、貴族の位も得て、ヌエバ・カスティーリャ(スペイン語版、英語版)の総督に任命され、4人の兄弟たちと募集した兵士とともに1530年、パナマに戻った[3]

1531年には約180人の手勢と37頭の馬を率いてパナマを出港し、ペルーへの侵入を開始した。サン・マテオ島で騎馬隊を下船させ、トゥンベスまで南下し、サン・ミゲル・デ・ピウラを建設した。その後、インカ皇帝アタワルパを追って南進した。1532年カハマルカでアタワルパと会見し、その場で生け捕りにした[2]。アタワルパの身代金として莫大な貴金属を受け取ったが、アタワルパが存在する限り先住民が彼をリーダーに担いで反乱を起こす可能性があると判断し、約束を反故にして、1533年7月26日処刑を敢行した。アタワルパは自身を「太陽の子」と信じ、いつか復活して報復すると誓いつつ死んで行ったと言う。その後もピサロはインカ帝国の分裂を巧みに利用しながら進撃し、11月にはインカ帝国の首都であるクスコに無血入城した。インカ帝国を滅ぼしクスコを制圧したが、敵対するインディオの大軍に包囲されていたため、パナマなどのスペイン人居留地と接触しやすい沿岸地域に町を建設する必要があったことから、1535年6月に「シウダー・デ・ロス・レイェス(諸王の都)」(現在のリマ市)を建設した[2]

しかしその支配地の分配、特にクスコの領有権をめぐってディエゴ・デ・アルマグロと対立し始め、1537年から内戦が始まった。1538年4月にサリナスの戦い(en)でアルマグロを破り処刑した[2]。戦いに勝利したピサロではあったがスペイン本国の支持を失い、1536年にはカルロス1世にアタワルパを無実の罪で処刑したとして死刑を宣告され、結局1541年6月26日にアルマグロの遺児一派にリマで暗殺された。埋葬されなかったピサロの遺体はミイラとして現在も残されている。
スペインとペルーでの評価

母国スペインでは英雄で、1992年から2002年ユーロ導入までスペインで発行されていた最後の1000ペセタ紙幣の裏面に肖像が使用されていた(表面はエルナン・コルテス)。

一方、ペルーではリマ建都400周年を記念に1935年にピサロの故郷のスペイン・エストレマドゥーラからリマ市に贈られたピサロの騎馬像は、最初は大聖堂の前に置かれていたが、市民の反発で1952年に道一本隔てた大統領府前のアルマス広場の片隅に移された。その後、1990年代に再度反対運動が起こって、2004年、リマ市長の命令により「国民感情にそぐわない」との理由で撤去され、跡地にはペルーの旗が掲げられた。騎馬像は今、リマ市内の旧市街のリマック川沿いの城塞広場に、台座のない状態で置かれている。
登場作品
映画


ピサロ将軍
(1969年、アメリカ、演:ロバート・ショー

脚注^ フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編著、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』U ルネサンスー啓蒙時代 原書房 2004年 90ページ
^ a b c d e ラテン・アメリカを知る事典、pp.317-318 ピサロの項(染田秀藤執筆)
^ フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編著、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』U ルネサンスー啓蒙時代 原書房 2004年 90ページ

参考文献

黄金郷 ピサロの生涯 
岡本好古 集英社,1982.12.

冒険者たちの世界史 ラルース版・劇画 7 インカ帝国の最期 ピサロ・バルディビア/ミシェル・ド・フランス編集 榊原晃三訳 タイムライフブックス, 1983.9.

ペルー王国史 ペドロ・ピサロ ほか 旦敬介,増田義郎訳・注. 大航海時代叢書 岩波書店 1984.10.

征服者ピサロの娘ドーニャ・フランシスカ・ピサロの生涯 1534-1598 マリア・ロストウォロフスキ 染田秀藤監訳.世界思想社,2008.8.

『ラテン・アメリカを知る事典』大貫良夫ほか監修、平凡社、1987年。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4-582-12609-X。 
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