フランシスコ・ザビエル
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この時のミサは、当時唯一司祭となっていたファーヴ ルが執り行った。

一同はローマ教皇パウルス3世の知遇を得て、叙階許可を与えられたので、1537年6月、ヴェネツィアの教会でビンセンテ・ニグサンティ司教によって、ザビエルもロヨラらとともに司祭に叙階された。彼らはエルサレム巡礼の誓いを立てていたが、国際情勢の悪化で果たせなかった。
東洋への出発ザビエルがとった航路

リスボン(1572年の図)

ゴアの古地図(18世紀の作)

ゴア、ボム・ジェズ教会外観

マラッカの港と要塞(オランダ統治時代の1726年の図)

当初より世界宣教をテーマにしていたイエズス会は、ポルトガルジョアン3世の依頼で、会員を当時ポルトガル領だったインド西海岸のゴアに派遣することになった。しかし、当初派遣される予定だったニコラス・ボバティリャとシモン・ロドリゲスのうち前者が出発直前に熱病にかかったため、急遽代わりの宣教師として、当時ロヨラの秘書で布教先が未定だったザビエルに白羽の矢が立った。ザビエルはインドに行くことを即座に承諾し、1540年3月15日に慌ただしくローマを出発した。ザビエルは先に出発していたシモン・ロドリゲスとともにポルトガル経由でインドに発つ予定であったが、ロドリゲスがリスボンで引き止められたため、彼は他の3名のイエズス会員(ミセル・パウロ、フランシスコ・マンシリアス、ディエゴ・フェルナンデス)とともに1541年4月7日にリスボンを出発した(ちなみにこの日は彼の35歳の誕生日である)。8月にアフリカのモザンビークに到着、秋と冬を過して1542年2月に出発、5月6日ゴアに到着。そこを拠点にインド各地で宣教し、1545年9月にマラッカ、さらに1546年1月にはモルッカ諸島に行き宣教活動を続け、多くの人々をキリスト教に導いた。マラッカに戻り、1547年12月に出会った鹿児島出身の武士ヤジロウ(アンジロー〈音訳 安次郎〉)はザビエルに日本に来るようにすすめた。[4]
日本へザビエル会見の地(一宇治城)

1548年11月にゴアで宣教監督となったザビエルは、翌1549年4月15日、イエズス会士コスメ・デ・トーレス神父、フアン・フェルナンデス修道士、マヌエルという中国人、アマドールというインド人、ゴアで洗礼を受けたばかりのヤジロウら3人の日本人とともにジャンク船でゴアを出発、日本を目指した[注釈 4]

一行は上川島広東省江門市台山)を経由し、ヤジロウの案内でまずは薩摩半島坊津に上陸、その後許しを得て、1549年天文18年)8月15日に現在の鹿児島市祇園之洲町に来着した。この日はカトリック聖母被昇天の祝日にあたるため、ザビエルは日本を聖母マリアに捧げた。

1549年9月には、伊集院城(一宇治城/現・鹿児島県日置市伊集院町大田)で薩摩国守護大名島津貴久に謁見、宣教の許可を得た[注釈 5]。ザビエルは薩摩での布教中、福昌寺の住職で友人の忍室文勝(にんしつもんしょう)と好んで宗教論争を行ったとされる。後に日本人初のヨーロッパ留学生となる鹿児島のベルナルドなどにもこの時に出会う。

しかし、貴久が仏僧の助言を聞き入れ禁教に傾いたため、「にのぼる」ことを理由に薩摩を去った(仏僧とザビエル一行の対立を気遣った貴久のはからいとの説もある)。

1550年(天文19年)8月、ザビエル一行は肥前国平戸に入り、宣教活動を行った。同年10月下旬には、信徒の世話をトーレス神父に託し、ベルナルド、フェルナンデスと共に京を目指し平戸を出立。11月上旬に周防国山口に入り、無許可で宣教活動を行う。周防の守護大名・大内義隆にも謁見するが、男色を罪とするキリスト教の教えが義隆の怒りを買い、同年12月17日に周防を発つ。岩国から海路に切り替え、に上陸。豪商の日比屋了珪の知遇を得る。
失意の京滞在 山口での宣教

1551年(天文20年)1月、日比屋了珪の支援により、一行は念願の京に到着。了珪の紹介で小西隆佐の歓待を受けた。

ザビエルは、全国での宣教の許可を「日本国王」から得るため、インド総督とゴアの司教の親書とともに後奈良天皇および征夷大将軍・足利義輝への拝謁を請願。しかし、献上の品がなかったためかなわなかった。また、比叡山延暦寺の僧侶たちとの論戦も試みるが、拒まれた。これらの失敗は戦乱による室町幕府の権威失墜も背景にあると見られ、当時の御所や京の町はかなり荒廃していたとの記録もある。京での滞在をあきらめたザビエルは、山口を経て、1551年3月、平戸に戻る。

ザビエルは、平戸に置き残していた献上品を携え、三度山口に入った。1551年4月下旬、大内義隆に再謁見。


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