フランク・ジュリアン・スプレイグ(Frank Julian Sprague、1857年7月25日 - 1934年10月25日)は、アメリカ海軍の士官、発明家で、モーター、電気鉄道、電気式エレベーターの開発に貢献した人物である。彼の発明は、交通機関の改善を通じて都市の規模を拡大することを可能にし、エレベーターを利用して超高層建築物を建設することにより商業の集積を可能にしたという点で、都市の発展に大きく貢献した。このため、彼は「電気駆動の父」(Father of Electric Traction)と呼ばれている[1]。
日本語ではSpragueを「スプレーグ」と表記することもある。 スプレイグは、コネチカット州ミルフォードで1857年に生まれた。ドゥルーリー高校(Drury High School)に進学し、数学に優れていた。1874年、メリーランド州アナポリス(Annapolis)にあるアメリカ海軍兵学校への入学許可を得た。1878年にクラスで7番目の成績で卒業している。
幼少期と教育
アメリカ海軍、発明家)に乗り込み、続いてミネソタ(USS Minnesota
発展する電気産業への参入(Edward H. Johnson)がスプレイグを、海軍を辞めてエジソンの研究所に来るように説得した。ニュージャージー州メンロパーク(Menlo Park)のエジソン研究所での彼の貢献の一つに、数学的手法の導入が挙げられる。彼が参加するまで、エジソンは費用の掛かる実験の試行錯誤をかなりの数で実施していた。スプレイグの方法では、数学を用いて最適な設定を計算し、不必要な繰り返し実験を大幅に省略することができた。また、エジソンが開発した中央変電所からの送配電システムの修正など、エジソンのために重要な貢献を行った。1884年、彼は電気の他の分野に関心を移し、スプレイグ電気鉄道・モーター会社(Sprague Electric Railway & Motor Company)を設立するためにエジソン研究所を離れた。
1886年までにスプレイグの会社は、固定ブラシで火花の出ない定速回転モーターと、電気モーターで駆動される装置から電力系統へ電力を返す回生技術という、2つの重要な発明を行った。彼の新しいモーターは、負荷の変動に関わらず定速で回転する初めてのものであった。このモーターは、エジソンに唯一の実用的な電気モーターであると保証され、直ちに普及した。また回生技術は、電気鉄道や電気式エレベーターの開発にとって重要なものであった。
リッチモンドでのトロリーポールの発明1920年代のバージニア州リッチモンドの路面電車。画像の電車は当時北米各地で使用されていたパーリー・トーマス社製の量産型。写っているのは8thストリートとブロードストリートの交差点。
スプレイグはまた、路面電車用の架線から集電する方式も発明した。ばねの力を利用したトロリーポールは1880年に発明された[2]。竿状のポール本体先端の架線と接触する部分には、摺動によるスライダーシューではなくトロリー・ホイールと呼ばれる金属製の滑車を用い、走行中この部分が回転しながら架線と接触、滑車とその軸受経由で架線からの電力を車両に供給、帰線には車輪と線路を用いる構造としていた。1887年後半から1888年初期にかけて、このトロリーポールを用いてスプレイグは、最初に成功を収めた路面電車システムであるリッチモンド・ユニオン旅客鉄道(Richmond Union Passenger Railway)をバージニア州リッチモンド(Richmond)に敷設した。長らく交通の障害となってきた、リッチモンドの10%を超える勾配のある丘は、彼の新技術を他の都市に普及させるために優れた実証場所となった。
その年内に、多くの都市でコストの掛かる馬車鉄道から電気鉄道への置き換えが進んだ。1889年までに、各大陸でスプレイグの設備を備えた110もの電気鉄道が運行を開始したか、あるいは計画されていた。1890年に、スプレイグの発明に必要な設備のほとんどを生産していたエジソンは彼の会社を買い取り、スプレイグは次の関心を電気式エレベーターへ向けた。 リッチモンドの路面電車での旅客輸送量の増大と高速化の経験を通じて、スプレイグは同じような輸送の改善を電気式エレベーターにより垂直方向の輸送でも達成できると考えるようになった。彼は、エレベーターの単位シャフトあたりの輸送能力を向上することで、所要時間を短縮して乗客にとって利点となるばかりでなく、水圧駆動式の遅く能力の低いエレベーターのためにフロア面積の広い部分をエレベーターシャフトが占めて、結果としてビルの高さを制限していたことを改善して、高いビルの収益を改善することもできると考えた。 1892年、スプレイグはスプレイグ電気式昇降機会社(Sprague Electric Elevator Company)を設立し、チャールズ・R・プラット エレベーター制御に関する経験から、スプレイグは電気駆動の開発をさらに進展させることになる、電気鉄道の総括制御システムの開発に取り組んだ。総括制御システムでは、列車の各車両がモーターを搭載している。制御伝送線を通じてリレーを動作させることにより、運転士は列車の全ての駆動モーターを協調して操作することができる。機関車を使用しない鉄道では、全ての車両に乗客を乗せて収入を上げることができる。また機関車を使用する鉄道でも、1人の機関士が複数の機関車を同時に制御することができる。 1896年から1900年まで、スプレイグはニューヨーク・セントラル鉄道(New York Central Railroad)のターミナル電化委員会に加わった。この仕事には、彼が路側信号機に列車が従うことを保証する自動列車保安装置を設計した、ニューヨークグランド・セントラル駅が含まれている。彼はスプレイグ保安制御・信号会社(Sprague Safety Control & Signal Corporation)を設立してこのシステムを開発・製作した。 第一次世界大戦の期間中、スプレイグは海軍顧問委員会の仕事をした。続いて、1920年代に、彼はフロア面積を節約するために1つのエレベーターシャフトで2つの独立したエレベーター、各停用かごと急行用かごを安全に動かす方法を開発した。彼はこのシステムを、エレベーターの加速度や速度が過大になったときに自動的に動作するエレベーター保安システムと共にウェスティングハウス・エレクトリックに売却した。 スプレイグの電気駆動に関する開発の影響により、都市規模の拡大が可能になると共に、エレベータの開発が商業の更なる集積を可能にし商業ビルの収益性を改善した。100年以上前のスプレイグの数々の発明が現代のライトレールや地下鉄を可能にし、それは今でも基本的に同じ原理で動いている。 スプレイグは1889年のパリ電気博覧会(Paris Electrical Exhibition)で金賞、1904年のセントルイス博覧会(St. Louis Exhibition)で大賞、同年エリオット・クレッソン・メダル、1910年に「電気科学・電気工学・電気技術に対する賞賛に値する業績」でアメリカ電気学会(後のIEEE)のエジソンメダル、1921年にフランクリン・メダル、1935年にジョン・フリッツ・ゴールドメダル(John Fritz Gold Medal)(死後贈呈)を、それぞれ受賞した。
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