フランク・シナトラ
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特にニューヨークの最高級ホテルであるウォルドルフ=アストリアの住人同士だったルチアーノとは友人だった[17][18]
最初の結婚

1940年代、シナトラはジェノヴェーゼ・ファミリーの副ボスウィリー・モレッティと友人となった。シナトラの最初の妻だったナンシー・バルバートはモレッティと縁のある人物のいとこであった。
『ゴッドファーザー』

シナトラが『地上より永遠に』(1953年)の脇役に抜擢されるまでの有名なエピソードがある。つまり、スランプに陥りカムバックを狙ったものの、映画界における女性スキャンダルが元で役につけなくなったシナトラが「育ての親」であるサム・ジアンカーナに泣きつき、最終的にジアンカーナが裏で「マフィア的に」動いて役に抜擢されたというものである。

このエピソードは後に、イタリア系マフィアの血族を描いた映画、『ゴッドファーザー』で取り上げられ、世間に知られるようになる(映画上ではさすがに実名のシナトラではなく、「ジョニー・フォンテーン」と言う芸名になっている)。また『ゴッドファーザー』では、これ以外にも著名なシナトラにまつわるエピソードがいくつか取り上げられている。
ケネディ家との関係と暗殺事件左からケネディとフーヴァー、ロバート「3人の狙撃者」に出演するシナトラ(右端、1952年)

娘のナンシーによれば、ケネディが1960年の大統領選挙に立候補する際、ケネディの父親で、密造酒商売を通じてマフィアと繋がりが深く、禁酒法時代に密造酒製造・販売で財を成してのし上がった過去で有名なジョセフ・P・ケネディが、シナトラの歌手デビュー当時から密接なつき合いがあるイタリア系マフィアの大ボスで、ショービジネス界を裏で握っているジアンカーナに「選挙運動に協力するように頼んでほしい」とシナトラに頼んだと証言している。

シナトラはジアンカーナに協力を要請したほか、その後元ガールフレンドでジアンカーナの情婦でもあったジュディス・キャンベルを、大統領になる前のケネディ大統領に紹介し、実際にキャンベルと女好きで有名なケネディは短期間の間、不倫関係になった。実際にその後ジアンカーナはケネディの大統領選挙の支援を行った。

しかしケネディは上記の様に大統領当選後の1962年に、ケネディ家とジアンカーナをはじめとするマフィアとの関係を怪しんだFBI長官ジョン・エドガー・フーヴァーに忠告を受けたため、マフィアの協力で大統領に当選したこと(さらにキャンベルとケネディが愛人関係であったこと)が表ざたになることを恐れた、ケネディの実弟で司法長官となったロバートが、ジアンカーナをはじめとするマフィアとの繋がりがあるシナトラを露骨に避けた上、この様な事実のもみ消しのために「マフィアを徹底的に取り締まる」と発表し、実際にジアンカーナとシナトラとの関係を一方的に断った。

このような仕打ちに怒ったジアンカーナとシナトラは徐々に反ケネディに傾いて行き、ケネディの死の1年前にその関係は完全に途絶えた。さらにジアンカーナは「ケネディ大統領暗殺事件の黒幕の一人」と言われ、「ケネディ兄弟の暗殺はジアンカーナへの裏切りに対する報復であっただろう」と言われる陰謀論の根拠となっている。実際にジアンカーナがケネディ暗殺をほのめかしているのを、FBIが盗聴で確認している[19]

なおシナトラは、1963年11月22日ケネディ大統領暗殺事件の直後に、1952年にかつて自分が出演した映画「3人の狙撃者」のフィルムを回収して回ったと言われている。そこでのシナトラの役は大統領狙撃未遂の主犯の上官だった。
タブー

これらのことは「公然の秘密」であり、メディアのインタビュアーがマフィアとの関係を尋ねることはタブーとされていて、実際に尋ねてしまった場合はインタビューは即時中断し、そのインタビュアーは二度とシナトラに対するインタビューはできなかった。

なお、有名なニュースアンカーのウォルター・クロンカイトCBSテレビのインタビュー番組の収録の際、番組のプロデューサーにけしかけられてシナトラにマフィアとの関係を尋ねてしまった際には、怒ったシナトラが自らのマネージャーを呼びつけて中座し、インタビューは中止された。その後、シナトラとマネージャー、プロデューサーの話し合いの後に再開し、シナトラより「興行先で興行主がマフィアであると知らず同席することはあった」との説明があったに留まった[20]
私生活
家族ナンシー・バルバトとともに

1939年にホーボーケン時代からの恋人ナンシー・バルバトと最初の結婚をした後、1951年に離婚するまでの間に3人の子供をもうけた。3人ともエンターテイメントの世界に進んだ。

長女のナンシー(Nancy Sinatra)は歌手として活躍し、特にスパイ映画の007シリーズ第5作『007は二度死ぬ』の主題歌は世界的なヒットとなった。次女ティナは女優としてテレビを中心に活躍した。

長男のフランクJr.は歌手となったが、1963年12月にレイク・タホの自宅で誘拐され、240,000ドルを要求されたものの2日後に解放された。その後もピアニスト、音楽プロデューサー、歌手として活躍している。来日経験も多く、映画『ある兵士の賭け』に出演、2010年2月にはブルーノート東京で亡き父フランク・シナトラの歌を披露した[21]。2016年3月に亡くなった。72歳だった[14]

母親のナタリー・シナトラは、1977年1月9日、シナトラの公演に向かう途中、乗っていた小型ジェット機がカリフォルニア州パームスプリングスの北西45kmの山中に墜落し、亡くなった。

上記の様に最初の妻のナタリーとは長男と長女、次女の3人の子をもうけたが、女優のエヴァ・ガードナーと付き合い始めてからはナタリーとの離婚を模索した。しかし2人ともカトリック教徒であることから協議が難航した。1951年にナタリーと離婚してからわずか10日後にガードナーと再婚したものの、カムバック後の多忙と浮気癖の再発により1957年に離婚した。

その後は独身であることを大いに謳歌したものの、1966年には、30歳年下の女優のミア・ファローと結婚した。しかしこの結婚は、年齢の違いによる価値観の違いからわずか2年しか持たなかった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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