フランク・コンラッド
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1922年10月18日、英国郵政庁GPOの調停で、英国放送会社BBC(British Broadcasting Company)[注釈 24]が誕生。メトロポリタン・ヴィッカーズ電気会社のマンチェスター2ZYはマルコーニ科学機器社のロンドン2LOとともに、新会社BBCへ移管された。

1923年3月4日より始まったクリーブランドKDPMへの短波中継が順調に滑り出した頃、メトロポリタン・ヴィッカーズ電気会社はウェスティングハウス電機製造会社と技術提携を結び、「大西洋横断短波中継」に合意した[45]。そして8XSの短波中継波を英国で受信するために、マンチェスター郊外のチェシャー州アルトリンチャムに短波受信所を建設[45][46]すると同時に、受けたKDKAの番組を中波で再送信するために中波放送の実験局の開設準備を始めた。
8XSの短波が大西洋を横断

世界初の短波による大西洋横断はコンラッドの無線電話で達成された。

1923年9月、短波による大西洋横断試験が始まると、あっけないほど簡単に8XSの短波(周波数3MHz、終段電力1.5KW)がアルトリンチャム受信所で受かった[45][46][47][48]。これまでも深夜になるとアメリカの中波放送を英国で聞くことができたが、短波の方が早い時間帯から聞こえ始めて、さらに火花式無線局(長波)から受ける高調波妨害も遥かに少ないことに、メトロポリタン・ヴィッカーズ電気会社の無線技術者達は驚いた。

1923年10月、短波の6MHzまで動作する10kWの水冷式真空管を開発したコンラッドは、これを2本使った自励発振式送信機(周波数調整範囲:3.0-3.6MHz、空中線電力7KW)を完成させ試験送信を開始した。8XSの短波はさらに強力になり、アルトリンチャム受信所ではフェージングの影響が軽減したにも関わらず、明瞭度は非常に悪かった。やがて搬送波の周波数が変調信号に合わせて揺さぶられている[注釈 25]ことをつき止め、振動でインダクタンスが変化しないよう配慮した構造の発振コイルや、キャパシタンス変動の少ないコンデンサーを開発したり、送信機全体を載せるスプリング台座の改良などの作業に追われた[47][49][50]
賞と栄誉

モーリス・リーブマン記念メダル
(1925)

エジソン・メダル (1930)

ジョン・スコット・メダル (1933)

ランメ・メダル (1936)

脚注[脚注の使い方]
注釈^ Westinghouse Electric & Manufacturing Co.
1945年にWestinghouse Electric Corporationに改名
^ のちに短波の開拓で競い合うことになるグリエルモ・マルコーニとは9日違いだった
^ NAAの信号を受信し、有線で配信するサービス。
^ ただし名義人はフランク・コンラッドだった
^ a b これは 「特別陸上局」 に大区分されるもので、アマチュア局とは別物
^ International Radio Telegraph Company
^ なお1897年から1899年にかけて、コンラッドはデイビスと連名で交流モーターや交流メーターに関する特許を複数登録している。
^ 地元デュケイン倶楽部での晩餐会からフーバー商務長官の挨拶を中継(1921年1月15日)
^ 地元デイビス劇場からルース・ロイの歌声中継(1921年3月10日)
^ ジョニー・レイ対ジョニー・ダンディーのボクシング(1921年4月11日)
^ 1922年に局数が増えたニューヨーク地区では833kHzの時間割を地元の全放送局で紳士協定せざるを得ない事態に発展した。
^ 同じ周波数で再送信すると、いわゆるマイクのハウリング現象のような状況が起きるため。
^ 文献上ではデッカー氏の1RDが第一次世界大戦後に短波で実験した最初のアマチュア局である。QST誌1923年3月号にコンラッドの短波実験に協力した件が報告されている。
^ この時代は「短波」が何kHz以上を指すかは決まっておらず、概ね1.5MHzあるいは2MHz以上を短波と呼ぶ例が多かった。
^ アマチュア無線には1,091-2,000kHzを勧告
^ 3月20日から24日迄
^ 連邦政府の放送用に限定するものではなく、広く「連邦政府による電波」という意味。
^ 667kHz, 1000kHzは海上公衆通信用
^ 勧告案のクラスA,Bは、クラスB,Aに名称変更のうえ実施された。
^ クラスB帯の中央800-870kHzを空けたのは、従来からの833kHz局で周波数移転を望まない放送局を「クラスC局」としてこれを保護するため。
^ ちょうど火花式から真空管式への過渡期にあたり、まだまだ火花式のアマチュア局が多かった。
^ これは第二回国内無線会議でアマチュア無線業務に500kHz幅(1,500-2,000kHz)の分配が勧告されたことを実行したもの
^ 8XSの波長は「可変」で免許されたため短波のどの波長でも実験できた。
^ 1927年、公共放送である英国放送協会BBC(British Broadcasting Corporation)に生まれ変わった
^ 振幅変調と同時に周波数変調が掛かった状態

出典^ ”Who’s Who in Amateur Wireless” QST Feb.1921 ARRL p29
^ James E. Britain “Electrical Engineering Hall of Fame: Frank Conrad” Proceedings of the IEEE(Vol.95 Issue 6) June 2007 IEEE pp1378-1380
^ 日本放送協会編 『日本放送史』1951年版, 日本放送協会, pp14-15
^ "Broadcasting Started From an Argument Over Watches" RADIO IN THE HOME Oct.1923 Henry M.Neely Publishing Company p11
^ "Radio Pioneer's Bet A Trick Window Says: Mrs. Frank Conrad Reveals Deception At Wilkinsburg ? KDKA Celebration" Pittsburgh Press Sep.7, 1957 p2
^ "Special Land Station, Alphabetically by Names of Stations" Radio Service Bulletin No.20 Aug.1,1916 Department of Commerce
^ Eric P. Wenaas Radiola: The Golden Age of RCA 2007 Sonoran Publishing p66
^ Alan Douglas Radio Manufacturers of the 1920s (Vol.3 RCA to Zenith) 1991 Sonoran Publishing p2
^ a b Donald G. Little “Dr. Conrad Founds Kdka” American Heritage(Vol.6 No.5) Aug.1955  American Heritage Publishing p72
^ 日本放送協会編 『日本放送史』 1951年版 日本放送協会 p14
^ "Special Land Station, Alphabetically by Names of Stations" Radio Service Bulletin No.37 May.1,1920,  Department of Commerce
^ Frank Conrad "Short-Wave Radio Broadcasting" Proceedings of the Institute of Radio Engineers (Volume12 Issue6) Dec.1924 P723


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