国別の海外出身者の人口[15] フランクフルトの人口推移については、19世紀になるまでは不正確な推定値に基づくしかない。1810年頃から国勢調査や公式な統計調査がなされるようになった。中世のフランクフルトは人口約1万人の中規模都市であった。17世紀に2万人、18世紀に中頃に3万人、1810年頃に4万人を超えた。自由都市フランクフルトが終焉した1866年までに9万人を超えたが、このうち約78,000人が堡塁施設の内側に住んでいた。現在そこに住んでいるのは約7,000人である。 1875年、フランクフルトの人口は10万人を超えた。1880年頃にはドイツ10大都市の一つとなった。1910年の人口は414,576人でドイツで9番目、プロイセンで4番目に大きな都市となった。第二次世界大戦前には553,464人まで増加した。 第二次世界大戦中には、4,800人以上の市民と12,700人以上の兵士が命を落とした。また、約3万人のフランクフルト在住ユダヤ人のうち約12,000人がホロコーストによって殺害された。1945年末のこの街の人口は約358,000人であり、戦争によって住民の約3分の1が亡くなった。 その後人口は、1951年に戦前の1939年の状態へ復し、1963年に史上最大の691,257人となった。周辺への人口移動によって1986年までに592,411人へと減少したが、その後再び増加して2010年12月31日現在の人口は、1986年から14.7%増の679,664人となった。2005年からの5年間は平均で1年あたり約7,000人の増加が見られた。こうした折り返し傾向は、独居世帯の不釣り合いな増加や住宅地の増加と関連している[16]。 2009年12月31日の調査に基づき、統計および選挙住民局が2010年12月に算定した「フランクフルト2030年人口予測」の計算では、フランクフルトの人口は2020年までに約 725,000人に増加し、その後2030年までにわずかに減少して723,000人となると予測されている。これは副人口(ドイツでは主な住所と別に副住所を登録できる)を併せた全人口に対する推定値である。市の調査によれば、2012年6月30日現在の人口は700,256人で、初めて70万人を超えたことになる[17]。 現在フランクフルトの人口はおよそ77万人でドイツの5番目に大きい都市となっている。国際的な都市であり様々な国からの移住者が多い。フランクフルト空港の影響で戦後から多くのの会社や銀行がフランクフルトに来て、西ドイツ時代の経済を代表する都市であった。フランクフルトにはトルコ人、東ヨーロッパ系(主にクロアチア人、ポーランド人、セルビア人)や北アフリカ系(主にモロッコ人、アルジェリア人)が多い。[18] フランクフルトにはおよそ3,700人の日本人が住み、ドイツではデュッセルドルフ、ベルリンに続いて3番目に多く日本人学校もあり、日本の会社や銀行の数も多い。
出身国人口 (2022)
トルコ25,300
クロアチア16,770
イタリア15,120
ポーランド12,180
ルーマニア10,450
ウクライナ10,260
セルビア9,405
ブルガリア8,510
インド7,620
モロッコ7,370
スペイン7,140
ギリシャ6,590
ボスニア・ヘルツェゴビナ6,350
アフガニスタン5,130
フランス4,720
中国4,640
アルジェリア4,090
ポルトガル4,000
日本3,670
エリトリア3,380
人口推移
隣接自治体
西:マイン=タウヌス郡(ハッタースハイム・アム・マイン、クリフテル、ホーフハイム・アム・タウヌス、ケルクハイム (タウヌス)、リーダーバッハ・アム・タウヌス、ズルツバッハ (タウヌス)、シュヴァルバッハ・アム・タウヌス、エシュボルン)
北西:ホーホタウヌス郡(シュタインバッハ (タウヌス)、オーバーウルゼル (タウヌス)、バート・ホムブルク・フォア・デア・ヘーエ)
北:ヴェッテラウ郡(カルベン