フラメンコ
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いずれにせよ、フラメンコの起源はアンダルシア地方、なかでもセビリアやカディス周辺のアンダルシア西部が本場とされている[6]

フラメンコが演奏される場は、当初は個人の家などプライベートな空間が中心であった。この時期にはギターが使用されることも少なく、手拍子や掛け声(ハレオ)による伴奏が主であった[7]

こうした状況は、19世紀半ばにカフェ・カンタンテと呼ばれる定期的にフラメンコが上演される飲食店が出現したことで大きく変容する。最初のカフェ・カンタンテは1842年にセビリアにできたとされる。[8]当初はフラメンコでなくピアノやクラシックを聴かせる場であったようであるが、19世紀後半に入るとフラメンコを取り入れ興行化する。特にシルベリオ・フランコネッティのカンテと意欲的な行動が原動力となって1870年代以降盛んとなり、彼自身が開いたカフェでは後の偉大なアーティストが多数活躍した[9]

さらにフラメンコの本場であるアンダルシア以外にも、マドリードバルセロナなどスペイン国内の各地にカフェ・カンタンテが出現し、フラメンコはアンダルシア地方の一民族音楽から大きく飛躍することとなった。またこの時期にはフラメンコの内容も大きく変容し、1870年代にプロの舞踊家が登場し[10]、ギターがフラメンコの主流の楽器となったほか、それまでのヒターノたちの影響を強く受けたカンテ・ヒターノのほかに、元からのアンダルシア民謡がフラメンコの影響を受けたカンテ・アンダルースと呼ばれるもう一つの新しい流れが生まれた。そして各地にカフェ・カンタンテが出現したことから、芸能として確立されたフラメンコには優れた奏者が次々と現れ、フラメンコはより豊かで洗練されたものとなっていった[11]

カフェ・カンタンテは20世紀初頭には姿を消し、フラメンコも1920年から1950年ごろまでは低迷期を迎えるが、20世紀後半になると伝統の復興気運が起き、上演の場所に関しても同様の飲食店であるタブラオが出現し、現在までフラメンコの上演の場の大きな部分を占めている。この時期からは劇場公演やフェスティバル、またペーニャ(Pena)とよばれる同好会もフラメンコ上演の重要な場となっていった[12]



アーティスト

18世紀以前に見られるアーティスト、El MurcianoやTio Luis de la Julianaなどは伝説の域を出ず、その実在性については議論がつきまとう。

言い伝えではなく確実に存在した人物として、19世紀にはエル・プラネータやエル・フィージョ、シルベリオ・フランコネッティやパコ・ラ・ルス、トマス・エル・ニトリ、エンリケ・エル・メジーソなどの歌い手が記録され、その歌い口が現在まで伝承され尊重されている場合も多い。

20世紀前半までにはアントニオ・チャコン、マヌエル・トーレやニーニャ・デ・ロス・ペイネス、アントニオ・マイレーナやマノロ・カラコールなど、現在にいたるフラメンコの諸形式をほぼ形作ったともいえる歌い手たちが現れ、録音も行われはじめた。ギタリストでは、クラシックギターの技術をとりいれてフラメンコギターに革新をもたらしたラモン・モントージャや[13]、圧倒的な技術と豊かな音楽性で君臨したサビーカス、偉大な歌い手達から絶大な信頼をうけた伴奏者メルチョール・デ・マルチェーナなどが特筆される。1930?40年代にはフラメンコはカンテ・ボニートと呼ばれる甘美な傾向が顕著になり、「オペラ・フラメンカ」とよばれる舞台が主流となった。ペペ・マルチェーナやファニート・バルデラーマなどに代表される、数多くの美声の歌い手たちが大衆の人気を博したが[14]、一方で純粋とされるフラメンコは陰に隠れた様相となった[15]。しかし1954年にギタリストであるペリーコ・エル・デル・ルナールによって伝統的なカンテのアンソロジーが組まれたのを契機に、伝統的なカンテへの再評価がなされ[15]、フアン・タレガやラファエル・ロメーロ、ペペ・エル・デ・ラ・マトローナなど隠れていた名人や古老の録音や、フェスティバル等への出演が相次いだ。

この時代には、フォスフォリートやウトレーラ姉妹などの本格的な唄い手たちも世に出た。ギタリストでは、いわば「再発見」されたディエゴ・デル・ガストールが特筆される。

20世紀後半にはギター、カンテ、舞踊の各分野で技術革新を行う人物が次々に登場した。ギターの分野では1960年代に相次いで登場したマノロ・サンルーカルやセラニート、中でもとりわけパコ・デ・ルシアが最も重要な革新者とされる[16]。フラメンコの演奏家として出発したギタリストであるパコ・デ・ルシアがジャズやクラシック・ギターの要素を大胆に取り入れ、ギターの奏法やフラメンコの音楽性に革命的な変化をもたらした[17]。その奏法には賛否両論あるが、トマティートビセンテ・アミーゴなど、その系譜を継ぐ中堅・若手のギタリストは現在非常に多い[18]

カンテの分野ではパコ・デ・ルシアやトマティートとともに活動した男性歌手カマロン・デ・ラ・イスラが名高い[19]ほか、エンリケ・モレンテやレブリハーノなどが様々な形でカンテに革新をもたらし、賛否両論を呼びつつも多くの追随者を生んだ。

こうしたフラメンコはさらにジャズブルースロックサルサ等との融合し、ドラムやベース、キーボードや管楽器など様々な楽器を用いるによって「ヌエボ・フラメンコ」(新フラメンコ)と呼ばれ、パタ・ネグラやケタマのように、フラメンコのファン以外にも広く知られるようなグループが生まれた。近年ではフュージョンヒップホップ・ミュージックとフラメンコとの融合も行われている[20]

舞踊の分野ではアントニオ・ガデス、ファルーコ、カルメン・アマジャ、マリオ・マジャ、マヌエラ・カラスコホアキン・コルテス、アントニオ・カナーレス、エバ・ジェルバブエナなどの名が挙げられる。

その他フラメンコ的な詩の朗読もフラメンコの芸の一つとされる。

現代においてはカホンやピアノ、フルートやバイオリンなどを用いてフラメンコを表現するアーティストも多数存在する。
アーティストの呼称

同名・同姓の多いスペインでは幼い頃から愛称やあだ名で呼ばれることが多く、それらが芸名となって本名を名乗らないことも多い。また同名の親子兄弟などを区別するために縮小辞(-ito/-ita)が付加されることも多い。
母や父の名前を付加したもの
Paco de Lucia ("Paco"は本名"Francisco"に対する愛称。


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