1968年、1972年、当時朝刊に連載中の『サザエさん』が休載中に作者が作品内にサザエさんを登場させ、一家の健在ぶりをアピールさせた。それをみた長谷川町子は連載再開時にお返しとして作品中にフジ三太郎を祝福に登場させた[11]。このように、当時は朝刊・夕刊を通して作者同士のマンガを通したコミュニケーションがよく行われていた。
1971年、全日空機雫石衝突事故の直後に掲載した作品では、「スカタング」という架空の戦闘機を操縦する三太郎は旅客機と空中衝突し、一度は脱出するが自らパラシュートの縛帯を解いて飛び降りた[12]。
1975年に唯一の3ヶ月長期休載。
1978年12月28日付をもって夕刊連載終了(年末年始の夕刊休刊に合わせての移動)。「たつトリあとをにごさず」として、三太郎がマンガのコマ枠を大掃除した。1979年1月1日付より移動先の朝刊で連載再開、再開初回4コマではなく判じ絵を多用しての挨拶だった。また、この日より朝日新聞の4コママンガはスペースが現行の記事4段分から5段分に変更され、拡張された。4日には夕刊に園山俊二作の『ペエスケ』がスタート。平助が挨拶していると羽織後ろから三太郎(実は「二人羽織」だった)が登場して「しっかりしなきゃだめだよ、ほんとに」と主人公・平助を励ました。
その後、サトウが病気で三太郎が休載した時、園山は入院中の三太郎に平助が見舞いに行く話を描いた。ところがサトウは復帰すると三太郎で同じシチュエーションの続編を描き、それを受けた園山もまたやり返したので、朝刊と夕刊のどっちに、どっちの作者がどっちの作品を描いているのか、混乱し兼ねない状態が暫く続いた事がある。
1980年6月、大平正芳首相が在職のまま病死したときには、それまで風刺してきた罰として作者が閻魔大王から「地獄行き」の指定券を受け取る作品が掲載された。
1982年10月21日、後述のドラマ(堺正章主演版)の放送開始に伴い、タイアップ的な漫画を掲載。漫画では三太郎役の堺を見て小太郎が「こういうパパがいいな」と言い、続いてサワ役の千石規子を見てビワ子が「やさしそうなおかあさんネ」と言い、最後はビワ子役の丘みつ子を三太郎が見つめるという内容だった[13]。
1985年8月13日付は日本航空123便墜落事故により休載。
1989年1月8日付朝刊は昭和天皇が崩御されたことで特別紙面となり、小説などの連載記事が休載されたが、フジ三太郎は通常通り掲載。内容は、この日から施行された元号『平成』の由来である「内平らかに外成る」(史記)と「地平らかに天成る」(書経)を三太郎が漫画で解説した。
1991年3月31日付朝刊で、三太郎が「(連載26年経過して)表面上だけ若作りのままもう半年続けます」と事実上の最終回告知。もっとも、それ以前にエイプリルフールネタとして最終回ネタをやったことがあった。
同年9月30日付朝刊で最終回。カラー特集が組まれ[14]、登場人物がミュージカルばりに「上を向いて歩こう」を歌った。連載終了はサトウ自らの意志によるものだった[3]。8,168回という当時としては毎日新聞連載・加藤芳郎作の『まっぴら君』に次ぐ異例の回数の記録を打ち立てた。また、同日夕刊の『ペエスケ』では三太郎と平助が酌を交わし、別れを惜しんだ。このとき居酒屋の親父が平助に「あんたも終わるときはあんなふうにしなよ」といっている。しかし、『ペエスケ』の作者の園山は翌1992年に病に倒れ、1993年1月に逝去したため、結果として『ペエスケ』は連載休止のまま連載終了・絶筆となる。 両作品とも、関西地区では朝日新聞系の放送局・朝日放送(ABC)で放映された(1968年当時はいわゆる腸捻転ネットの時代)。 TBS系列にて1968年10月6日から1969年9月28日まで放映。全39話。モノクロ作品。放送時間は毎週日曜日21:00 - 21:30[15]。三太郎役は坂本九。妻ビワ子役は宮本信子(第1話 - 第26話)、三好美智子(第27話 - 最終話)が演じた。野球中継による番組休止があったため、全38話ながらほぼ一年間放映された。2004年にエムスリイエンタテイメント株式会社より全39話が収録されたDVD-BOX (5枚組DVD) が発売され、初めてソフト化されている。 当初、サトウはアニメと同様にドラマ化も断るつもりだった。しかしサトウが企画を持ち込んだ伊丹十三と主演の坂本九のファンであったため了承した[3]。 話数放送日サブタイトルゲスト
テレビドラマ
1968年版
キャスト
フジ三太郎:坂本九
フジビワ子:宮本信子(初代)、三好美智子(2代目)
フジ小太郎 : 矢崎友紀
多々良純
菱見百合子
西岡慶子
進千賀子
宮地晴子
佐藤英夫
花上晃
小瀬朗
浅見比呂志
大泉滉
塩沢とき
車だん吉(たんくだん吉名義)
ナレーター:川久保潔
スタッフ
原作:サトウサンペイ
プロデューサー:吉田善平
脚本:野上龍雄、露峰裕子、加瀬高之、馬場当、山中恒、下飯坂菊馬、大川久男、瀬川昌治 ほか
監督:杉江敏男、若林幹、上野英隆、瀬川昌治、真船禎
助監督:上野英隆、乙武英樹 ほか
制作担当:小坂井郁也
音楽:宮崎尚志
撮影技術:中溝勇雄、溝口正敏
照明:岡庭正隆
録音:泉田正雄、坂田通俊
編集:神谷信武
現像:TBS映画社
美術:朝生治男、馬場周一
舞台装置:美建興業
制作:国際放映、TBS
主題歌:『三太郎ソング』 歌:坂本九 (作詞:サトウサンペイ 作曲:宮崎尚志)
サブタイトル
11968年10月6日サンマ苦いか・・・コント55号(萩本欽一、坂上二郎)、十朱久雄、関千恵子
210月13日ラッシュは楽し北あけみ、加地健太郎
310月20日二人はともだち柳家小さん、柳沢真一
410月27日くたばれ3000万円左卜全、田崎潤
511月3日ママの誕生日コント0番地
野際陽子、水垣洋子 、山本正明、田崎潤
611月10日明日の朝のおみおつけ
711月17日可愛い下宿人江美早苗
811月24日俺はついてるぜ愛京子
912月1日男心は男でなけりゃ井上昭文
1012月8日東京には空気がないジェリー伊藤
1112月15日強くなろうぜ、男の子渡辺文雄 、五月晴子 、進千賀子
1212月22日踊る一万円札
1312月29日替え玉作戦桜井啓子 、岡村文子
141969年1月5日一フジ二タカ三なすびコント55号
151月12日こんにちはビワ子さん!矢野間啓治
161月19日となりはとなり草野大吾
171月26日意地で行こうぜ!柳家小さん
182月2日危険信号藤村有弘
192月9日美人に御用心八代万智子
202月16日天下泰平蓮川くみ