フジテレビ
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2016年3月15日、インターネットチャンネル「フジテレビONEsmart / フジテレビTWOsmart」を開局[41]

2016年12月26日、SMAPの解散に伴い『SMAP×SMAP』が放送終了。放送期間20年9ヶ月の歴史に幕を下ろす[42]

2017年3月10日、フジテレビの社屋が現在の所在地である港区台場に移転してから丸20年目を迎える。

2018年3月、フジテレビのゴールデンタイム・プライムタイム帯で長年レギュラー放送されていた長寿バラエティ番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』と『めちゃ2イケてるッ!』が揃って放送終了。それぞれの放送期間は『とんねるずのみなさんのおかげでした』(前身番組も含める)は29年半、『めちゃ2イケてるッ!』は21年半の歴史に幕を下ろす[43]

2018年10月の改編で、木曜・金曜を除き20時台のフライングスタートが廃止された。

2019年4月改編で、金曜20時台のフライングスタートも廃止。

2019年6月10日、クラウド管理に対応した送出マスターに更新[44]

2020年代

2021年4月改編で、木曜20時台のフライングスタートも廃止。

2022年4月11日、動画配信アプリ「
TVer」にて、地上波プライムタイムに放送されているフジテレビ系列番組[注釈 28]のインターネット同時配信サービス「フジテレビ系リアルタイム配信」を開始[45]

同年、業績の悪化や社員全体の高齢化などを理由に、50歳以上の社員約500人を対象に大規模な希望退職を募集する事態になった。この人員整理で元アナウンサーや元プロデューサーなどを含む数十人が退社した[46]


制作分離と80年大改革

1968年から翌年にかけて、日本におけるカラーテレビ台数は、150万台から350万台という驚異的な伸びを見せた[47]。このような急速なカラー化の動きに対応して、フジテレビでは1968年1月にマンモススタジオ(のちの第6スタジオ)の起工式を行うなど積極的な対策に乗り出し、他局も同じように、カラー対策に設備投資など膨大な費用を計上をせざるを得ない状況であった[47]。しかもこの1968年には、各系列ともUHF局の開局が相次いだため、東京のキー局の懐具合は、いずれも厳しいものだった[47]。そこで各局はそれぞれの現況に合った経営の合理化を推進することになった[48]

1970年1月、TBSでは従来から番組面で交流の深かった木下恵介監督を中心にして「木下恵介プロダクション」を設立してドラマを外注することになり、2月にはスタジオドラマの草分け的存在の石川甫プロデューサーを社長にドラマ制作集団「テレパック」が結成された[48]。また同月には、局内制作に限界を感じた現場スタッフが機を同じくしてTBSを退社し、その退職金を資本にして「テレビマンユニオン」も誕生した[48]。この折に、それら動きをじっと見ていたのが、フジの鹿内信隆社長だった[49]。TBS同様にカラー問題などで経営合理化を考えていた鹿内は、この制作プロダクション問題にすぐに飛びついて早速総務に原案の作成を命じた[49]。鹿内の狙いは、報道部門と『小川宏ショー』などスタジオ生放送を除いて、すべてのドラマ・芸能番組を制作プロダクションに移行するという破天荒なものだった[49]。これについて編成出身の福田英雄副社長や常務の村上七郎などは、「フジの制作部門の社員は、老練なTBSのスタッフと異なり、いずれも若く、しかも独立など毛頭考えてもいない。考え方としてはともかく、時期尚早である」と反対意見を申し立てた[49]。だが、鹿内は「早いからこそ今できるのだよ」とのことで、この流れは変わらなかった[49]

1970年2月、「フジポニー」(石田達郎社長・坊城俊周専務)が、7月には音楽番組を中心として「ワイドプロモーション」(伊藤昭社長)がそれぞれ設立され、この両社に対してフジから約40名が第一陣として出向した[50]。12月になるとドラマその他一般芸能番組を制作する「フジプロダクション」(河野義徳社長、岡田太郎専務)の大部隊が、年を明けてドラマの「新制作」(嶋田親一社長)が相次いで設立され、この4社に約150人の社員が出向、退社、転属などの形で移動することになり、河田町制作局はついに廃止となった[51]

経営合理化の発想としては、競争の原理に基づいて、この4つのプロダクションを競わせ、それを通じて番組の活性化を図ろうとしたのだが、事実は思い通りには動かなかった[51]。ことに昨日までの仲間であった編成と制作プロの間には、受注、発注という厳しい関係が突如生じて、人間関係にギクシャクしたものが現れ、何とも気まずい事態が度々起こるようになった[51]。この結果、1970年代のフジテレビは低迷に苦しみ、視聴率の面で悪戦苦闘を続けた[52]。1960年代はフジでも、レギュラー番組では『スター千一夜』『鉄腕アトム』『三匹の侍』などが気をはいていたが、1970年代に到ると、『サザエさん』くらいしかなる[52]


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