1968年から翌年にかけて、日本におけるカラーテレビ台数は、150万台から350万台という驚異的な伸びを見せた[47]。このような急速なカラー化の動きに対応して、フジテレビでは1968年1月にマンモススタジオ(のちの第6スタジオ)の起工式を行うなど積極的な対策に乗り出し、他局も同じように、カラー対策に設備投資など膨大な費用を計上をせざるを得ない状況であった[47]。