フジテレビ
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12月15日 - 「お台場エリア放送」の愛称で地上一般放送開始[15]


2013年5月31日 - 午前9時 東京スカイツリーからの送信開始

2015年

3月31日 - 正午にてBSセーフティーネットによる地デジ補完放送終了

4月1日 - 移動受信用地上基幹放送としてモバキャスによるフジテレビONE・フジテレビTWO放送開始


2016年6月30日 - モバキャス終了に伴いモバキャスによるフジテレビONE・フジテレビTWO放送終了

2017年3月17日 - 「お台場エリア放送」廃止

2019年6月10日 - 地上波(デジタル)・BS波(BSフジ)・CS波(フジテレビワンツーネクスト)の3波統合型マスター設備(東芝製)が稼働・更新。同時に、番組素材のデータを、これまでのVTR納入から「総合コンテンツ管理システム」に基づくクラウド上のネットワーク送信に対応。マスター設備は、6月10日朝の地上波を皮切りに、10月にBS波、2020年2月にはCS波にて稼働開始[16][17]

2022年10月1日 - ONE PIECE等の一部の番組を除く、全番組の提供クレジットから黒縁+白テロップ表記を撤廃(但し、期間限定[18]・一部企業等を除く。)し、カラー表記に統一[注釈 17]

2023年4月1日 - 制作著作クレジットの表記を、開局65周年仕様(「(目玉マーク)フジテレビ」のロゴの左側に「65th」[注釈 18])に変更。

開局周年使用ロゴを表記するのは開局以来初めてである。


2024年3月1日 - 開局65周年。

社史・記念誌

フジテレビジョンでは以下9冊の社史・記念誌を刊行している(2020年10月時点)。但し、何れの社史・記念誌とも所蔵している図書館は極めて少ない。

フジテレビジョン十年史稿(フジテレビジョン・編)1970年発行、314ページ。

フジテレビジョン15年の歩み(フジテレビ広報部・編)1974年発行、88ページ。

開局からの歩み フジテレビ社史年表 昭和34年?昭和60年(フジテレビ総務部・編)1986年3月発行、204ページ。

開局からの歩み フジテレビ社史年表 昭和34年?平成2年(フジテレビ総務部・編)1991年2月発行、253ページ。

タイムテーブルからみたフジテレビ35年史(フジテレビジョン編成局調査部・編)1994年5月発行、150ページ
[19]

タイムテーブルからみたフジテレビ40年史(フジテレビジョン編成局調査部・編)1999年7月発行、174ページ。

タイムテーブルからみたフジテレビ50年史(フジテレビジョン編成制作局知財情報センター調査部・編)2009年4月発行、218ページ。

フジテレビジョン開局50年史 1959 - 2009(昭和34年?平成21年)(フジ・メディアホールディングス・編)2009年8月発行、2冊・data bookとも。

タイムテーブルからみたフジテレビ60年史(フジテレビ編成局編成センター編成メディア推進室マーケティングリサーチ部・編)2019年3月発行、262ページ。

歴史フジテレビの旧ロゴ
(1959年 - 1986年)旧有楽町本社(1961年頃)。ニッポン放送の本社に間借りしていた。旧河田町本社(1961年頃)旧河田町本社(1991年4月撮影)河田町時代の本社跡地は、URに土地を売却の上で高級タワーマンションになっている(河田町コンフォガーデン)。第一別館は2009年までフジテレビが新宿支局として使っていた。
1950年代

1957年6月、
郵政省が「テレビジョン放送用周波数割当計画表」を発表、京浜地区に新たに3波が割り当てられた。この3波のうち、1波はNHK教育テレビに決定し、残り2波は民放総合局と民放教育専門局に分けた。そのうち、特に総合局の免許獲得競争が特に激しく、植村甲午郎らの「中央テレビジョン」、大映系の「アジアテレビジョン」、松竹系の「芸術テレビジョン」、東宝系の「東洋テレビジョン」等各社が申請した[20]。このうち、すでに民放ラジオ局としての経営実績を積み上げた文化放送とニッポン放送の連携を軸に、東宝、松竹、大映などの映画各社も加え、免許申請の1本化が進んだ[21]。文化放送・ニッポン放送・先述の映画3社が中心となり[22]、翌7月に予備免許が交付された。その後、事業体として同年11月、東京都千代田区有楽町1丁目7番地(現在の有楽町1丁目9番3号)の糖業会館に資本金6億円で「株式会社富士テレビジョン」として設立(翌年12月に現在の商号に変更 ニッポン放送本社と同居)。

1959年1月に東京都新宿区市谷河田町7番地(現在の新宿区河田町3番1号)に本社ビルを完成させ(本社所在地の変更は1962年)、同年3月1日に東京で3番目(総合局と教育局の区分による都合上で3番目とされているが、総合局と教育局の区分を問わなければ4番目となっている[注釈 19])のテレビ局として放送を開始した(放送開始当時は映像出力10kW、音声出力2.5kW。1960年1月17日に空中線電力を50kWに増力した)。

チャンネルは当初「1」を希望していたが、NHK教育テレビ→NHK総合テレビが獲得[注釈 20]。日本テレビが「4」、ラジオ東京テレビ(現:TBSテレビ)が「6」を取得していたため、第8チャンネルとなった。開局から1986年3月31日までのシンボルマークはチャンネルナンバー「8」を図案化したもの(関西テレビや沖縄テレビとは多少異なる)。ロゴタイプ(ロゴ)は産経新聞(当時はサンケイ)やニッポン放送の旧書体に似た旧フジサンケイグループ標準書体(亀倉雄策の作)だった。

8チャンネルを取得したものの日本の黎明期のテレビ受像機は1956年頃までは6チャンネル・チューナーが一般的であったため、新たに開局した8チャンネルのフジテレビを視聴するためには12チャンネル・チューナのテレビ受像機に買い替えるかチューナの増設が必要であった。

1959年3月1日の開局では、9時20分に最初の番組『開局に際して』(初代社長水野成夫による挨拶)が放映。続いて、開局までの模様を映した記録映画『フジテレビの誕生』が放映された。


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