フジテレビ
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12月1日 - ファイル配信に対応した地上波(アナログ・デジタル)・BS波(BSフジ)・CS波(フジテレビワンツーネクスト)の統合型デジタルマスター設備(東芝製)が稼動[13]。同時に地上デジタルテレビジョン放送のサブチャンネル番号「083」の運用開始。3分割放送が物理上可能となる。マスター切換は3段階に分けて行われ、第1段階は地上波、第2段階は2009年4月にCS放送(フジテレビワンツーネクスト)、第3段階は2009年10月にBS放送(BSフジ)の順で切換を行った。


2010年

3月11日 - BSセーフティーネットに基づく地上デジタル放送難視聴地域向け補完放送を期間限定で開局。チャンネルはBS298

4月23日 - CS放送のフジテレビNEXTにて、同局初の3Dハイビジョンによる番組『アリス3D』を放送(同局の音組による制作)。この際、この番組の冠スポンサーであるパナソニックによる日本初の3DハイビジョンCM(プロゴルファーの石川遼選手が出演)も放送された[注釈 15]

7月5日 - NHKと民放連の申し合わせにより、地上アナログ放送における全番組が、地上デジタル放送への完全移行を前提にレターボックス放送(画角サイズ16:9)に移行[注釈 16]


2011年

6月30日 - 沖縄県大東諸島のデジタル放送中継局開局(同7月1日試験放送・7月23日正式開局)に伴い大東諸島の中継局からの放送も同時に終了し、デジタル放送用に本来の沖縄県の系列局である沖縄テレビ放送の中継局が開局する。

7月24日 - 7月24日は笑っていいともの特別バージョンが放送され、午後0時00分にブルーバックのアナログ放送アナログ放送終了のお知らせが表示され、午後11時58分に現在でも使われるクロージングが表示され、終わり頃には「これでフジテレビのアナログ放送は終了します。今後はデジタル放送でお楽しみ下さい。」と表示され、開局以来52年にわたる地上アナログ放送がPM11:59分に終了。

10月31日 - 生放送の報道・情報番組がすべてステレオ放送化された。


2012年

12月11日 - 地上一般放送局の免許取得[14]

12月15日 - 「お台場エリア放送」の愛称で地上一般放送開始[15]


2013年5月31日 - 午前9時 東京スカイツリーからの送信開始

2015年

3月31日 - 正午にてBSセーフティーネットによる地デジ補完放送終了

4月1日 - 移動受信用地上基幹放送としてモバキャスによるフジテレビONE・フジテレビTWO放送開始


2016年6月30日 - モバキャス終了に伴いモバキャスによるフジテレビONE・フジテレビTWO放送終了

2017年3月17日 - 「お台場エリア放送」廃止

2019年6月10日 - 地上波(デジタル)・BS波(BSフジ)・CS波(フジテレビワンツーネクスト)の3波統合型マスター設備(東芝製)が稼働・更新。同時に、番組素材のデータを、これまでのVTR納入から「総合コンテンツ管理システム」に基づくクラウド上のネットワーク送信に対応。マスター設備は、6月10日朝の地上波を皮切りに、10月にBS波、2020年2月にはCS波にて稼働開始[16][17]

2022年10月1日 - ONE PIECE等の一部の番組を除く、全番組の提供クレジットから黒縁+白テロップ表記を撤廃(但し、期間限定[18]・一部企業等を除く。)し、カラー表記に統一[注釈 17]

2023年4月1日 - 制作著作クレジットの表記を、開局65周年仕様(「(目玉マーク)フジテレビ」のロゴの左側に「65th」[注釈 18])に変更。

開局周年使用ロゴを表記するのは開局以来初めてである。


2024年3月1日 - 開局65周年。

社史・記念誌

フジテレビジョンでは以下9冊の社史・記念誌を刊行している(2020年10月時点)。但し、何れの社史・記念誌とも所蔵している図書館は極めて少ない。

フジテレビジョン十年史稿(フジテレビジョン・編)1970年発行、314ページ。

フジテレビジョン15年の歩み(フジテレビ広報部・編)1974年発行、88ページ。

開局からの歩み フジテレビ社史年表 昭和34年?昭和60年(フジテレビ総務部・編)1986年3月発行、204ページ。

開局からの歩み フジテレビ社史年表 昭和34年?平成2年(フジテレビ総務部・編)1991年2月発行、253ページ。

タイムテーブルからみたフジテレビ35年史(フジテレビジョン編成局調査部・編)1994年5月発行、150ページ
[19]

タイムテーブルからみたフジテレビ40年史(フジテレビジョン編成局調査部・編)1999年7月発行、174ページ。

タイムテーブルからみたフジテレビ50年史(フジテレビジョン編成制作局知財情報センター調査部・編)2009年4月発行、218ページ。

フジテレビジョン開局50年史 1959 - 2009(昭和34年?平成21年)(フジ・メディアホールディングス・編)2009年8月発行、2冊・data bookとも。

タイムテーブルからみたフジテレビ60年史(フジテレビ編成局編成センター編成メディア推進室マーケティングリサーチ部・編)2019年3月発行、262ページ。

歴史フジテレビの旧ロゴ
(1959年 - 1986年)旧有楽町本社(1961年頃)。ニッポン放送の本社に間借りしていた。旧河田町本社(1961年頃)旧河田町本社(1991年4月撮影)河田町時代の本社跡地は、URに土地を売却の上で高級タワーマンションになっている(河田町コンフォガーデン)。第一別館は2009年までフジテレビが新宿支局として使っていた。
1950年代

1957年6月、
郵政省が「テレビジョン放送用周波数割当計画表」を発表、京浜地区に新たに3波が割り当てられた。この3波のうち、1波はNHK教育テレビに決定し、残り2波は民放総合局と民放教育専門局に分けた。そのうち、特に総合局の免許獲得競争が特に激しく、植村甲午郎らの「中央テレビジョン」、大映系の「アジアテレビジョン」、松竹系の「芸術テレビジョン」、東宝系の「東洋テレビジョン」等各社が申請した[20]


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