フジテレビジョン
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1966年10月31日、元内閣総理大臣吉田茂の死去に伴う国葬日本武道館にて営まれるにあたり、当日は華美な歌舞音曲関係の番組を慎み、終日を通して吉田の追悼特番、またはそれに準じる教養色の強い映画・音楽番組に差し替え、CM放送についても終日行わなかった[23]。理由として、「吉田の功績を考えると、特番編成に差し替えるのは当然である」とした。

1967年2月11日、『ズバリ!当てましょう』で自社制作の実写番組では初のカラー放送を実施[24]

1969年、フジテレビ労組で女子社員の25歳定年制の撤廃が議論される。同制度に抗議して、全女子社員が赤いバラを胸に付けて抗議活動をした。同年、東京都地労委にあっせん申請。

1969年10月5日には、テレビアニメ『サザエさん』が放送開始。世界で最も長く放送さてているテレビアニメ番組として、ギネス世界記録にも認定され、フジテレビひいては日本を代表する看板アニメ番組となった。

1970年代

1970年
2月10日、沈没した貨物船かりふぉるにあ丸を取材するためにチャーターした小型飛行機が墜落。カメラマン1人を含む3人が犠牲となった[25]

1974年、大型音楽番組『FNS歌謡祭』が放送開始。当初は、コンテスト形式で年2回放送されていたが、1991年からコンサート形式へリニューアルして以後、毎年冬(年末)に放送されている。

1976年、『プロ野球ニュース』がキャスターに佐々木信也を迎えて放送再開される[注釈 21]

1977年、ザ・ドリフターズがメイン出演のバラエティ番組『ドリフ大爆笑』が月1レギュラー番組として放送開始。軒並み高視聴率を連発して、1980年12月23日の放送では同番組の最高視聴率である40.4%を記録した。

1980年代

1981年にそれまでの「母と子のフジテレビ」を改め、「楽しくなければテレビじゃない」というキャッチフレーズを打ち出した。面白い番組・視聴者の笑いを取れる番組を生み出そうという意識改革の
スローガンであった。そこから横澤彪がプロデュースした『THE MANZAI』『オレたちひょうきん族』『笑っていいとも!』『オールナイトフジ』など数々の人気番組が生まれていった。このような状況は当時のキャッチコピーから「軽チャー路線」(かるちゃーろせん)とも評された。バラエティ番組中心の編成は結果として視聴者の支持を集め、1982年に「年間視聴率3冠王」(ゴールデンプライム全日でトップ)を獲得。その後「3冠王」は1993年まで12年連続で達成した。

1984年には年間売上高でもキー局トップとなり、名実ともに日本最大の民放テレビ局へと成長していった。また、後に日本テレビが使用する「4冠王」(ゴールデン・プライム・全日・ノンプライムでトップ)も同時に獲得していた。この年から経営合理化の名の下に(実際には労組潰しの側面もあったとされる)報道、スポーツ番組を除き1970年に系列の外部制作会社に委託していた番組制作を再び局の編成局の下で行われるようになった。この際に系列の制作会社からフジテレビに移籍した社員はポツダム上等兵にかけて「ポツダム社員」と呼ばれたが、後のフジテレビ躍進に大きく貢献した。上記の一連の動きは80年改革と呼ばれた(その他詳細は鹿内春雄横澤彪も参照)。

1987年4月からそれまで『欽ドン!』シリーズを編成していた月曜21時にテレビドラマ枠を新設。この枠は『月9』と呼ばれ、折からのバブル景気時と相まってトレンディドラマブームを巻き起こし、ゴールデン・プライム帯の視聴率を押し上げた。

1987年7月18日、同局開局以来の24時間編成の大型番組として『FNSの日FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』を放送。当初は1回限りの予定であったが平均視聴率が19.9%、瞬間最高視聴率は38.1%という高視聴率であったことから翌年以降も継続され、『FNS27時間テレビ』として現在も継続されている。
同年10月、日本の地上波テレビ局で初の完全24時間放送を開始[注釈 22]。深夜枠のソフト充実を目的に『JOCX-TV2』と銘打って実験的な内容の番組を多数開始した。以降、『やっぱり猫が好き』や『夢で逢えたら』など新感覚の番組が高い評価を受ける。これらの番組はそれまでの深夜番組の常識であった「お色気路線」を排除したのが最大の特徴で、以降他局でも深夜に同様の編成が行われるようになった。

1988年10月13日、とんねるずのバラエティ番組『とんねるずのみなさんのおかげです』がレギュラー放送開始。以後、『とんねるずのみなさんのおかげでした』としてリニューアルして、番組名が変わりながら2018年まで通算30年放送され、同局のゴールデン・プライム帯におけるレギュラー放送のバラエティ番組として最長期間の放送となった。

この結果、1987年の全日視聴率1位を達成。関東地区における全日視聴率(ビデオリサーチの調査)は、1963年から1986年までの24年間、NHK総合テレビが各民放キー局を押しのけて、連続して1位を獲得しており[26][注釈 23]、民放史上初の単独での全日視聴率制覇を果たした。これは、2022年現在でも唯一の記録となる。

1990年代フジテレビ本社があるFCGビル(1996年、アクアシティ建設前)フジテレビ本社があるFCGビル(東京テレポート駅側より)

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