フジサンケイグループ
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フジサンケイグループ
Fujisankei Communications Group

創業者鹿内信隆
創立1967年
国籍 日本
中核企業フジ・メディア・ホールディングス
フジテレビジョン
産業経済新聞社
ニッポン放送
サンケイビル
ポニーキャニオン
従業員数13,000名
中核施設FCGビル
中心的人物日枝久[1]
主要業務テレビ、新聞、ラジオ、出版、映画、音楽、コンテンツの制作・販売・配信、総合通信販売、及び都市開発・観光
標章目ん玉マーク
別名FCG
外部リンクhttps://www.fujisankei-g.co.jp/
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フジサンケイグループ(英語: Fujisankei Communications Group、略称:FCG)は、日本最大のメディア・コングロマリット。78社、4法人、3美術館で構成され、グループ全体での従業員の数は約13,000名。代表は日枝久

グループ企業の大部分は、フジ・メディア・ホールディングスの子会社または関連会社である。一部構成企業を除くグループ企業は、グループの統一社章・シンボルマークとして「目ん玉マーク」を使用している。
概要
前史

1951年、聖パウロ修道会らの主導で財団法人日本文化放送協会は創立、翌年開局したが、イタリア人司祭のパウロ・マルセリーノ(帰化後は丸瀬利能)の独善的運営や共産党員主導の労働争議激化により、早々に経営危機に陥る。1956年、左翼によるメディア支配を恐れた財界の主導により、財団は解散、改組により株式会社文化放送が設立、水野成夫が初代社長に就任した。[2]

1954年、財界主導によりニッポン放送が設立、日経連初代専務理事の鹿内信隆が代表取締役専務として実務を担った。

1957年、ニッポン放送と文化放送が主体となり、東宝松竹大映が出資して株式会社富士テレビジョン(翌1958年に株式会社フジテレビジョンに商号変更、現・フジ・メディア・ホールディングス)が設立。水野成夫が社長、鹿内信隆が専務に就任。ニッポン放送同様、信隆が実務を担った。

1958年、水野成夫が経営危機に陥っていた産経新聞社の社長に就任。これにより、フジテレビ、ニッポン放送、文化放送、産経新聞社の連携体制がスタートする。
フジサンケイグループ発足

1967年(昭和42年)12月、フジテレビサンケイ新聞社ニッポン放送文化放送が中心となりフジサンケイグループを結成。翌1968年、フジテレビ、ニッポン放送の代表取締役社長を兼任する鹿内信隆がフジサンケイグループ会議を創設、議長(最高経営責任者に相当)に就任。グループ各社の財務経理、人事、総務等コーポレート機能の積極的連携を推進。同年10月、病気に倒れた水野成夫の後任としてサンケイ新聞社長、サンケイビル[3]社長に就任、基幹3社の社長職を兼務し、合理性に基づくグループ経営を強力に推進した。

1985年(昭和60年)に長男・鹿内春雄が議長とフジテレビ産経新聞社ニッポン放送の代表取締役会長に就任に就任。編成局長の日枝久と二人三脚でフジテレビの黄金時代を築き上げた。「夢工場」などのイベント、「南極物語」「ビルマの竪琴」などの映画で大規模なメディア・ミックスを展開、記録的な成果を上げた[4]。88年に春雄は急逝、これに伴い信隆が一時的に復帰する。89年に娘婿・鹿内宏明が信隆夫妻との養子縁組の上で3代目議長に就任、フジテレビ、産経新聞社、ニッポン放送の代表取締役会長に就任した[5]。90年10月28日に信隆は死去した。92年7月21日、フジテレビ社長の日枝久らの主導により、宏明は産経新聞社の代表取締役会長職を解任される。翌22日、フジサンケイグループ議長、フジテレビ会長、ニッポン放送会長を辞任。以降も長らく、ニッポン放送の筆頭株主として鹿内家は存在感を誇示していたが、株式公開を機に徐々に持ち株比率は低下し、2005年(平成17年)に宏明夫妻が保有していた250万株以上のニッポン放送株式大和証券SMBCに売却し、鹿内家とグループの関係はなくなった。
フジサンケイグループのストラクチャー再編

フジテレビは、2005年1月17日、同社の発行済株式総数の22.51%を所有する筆頭株主であるニッポン放送の株式公開買付け(TOB)を発表(証券取引法に基づく公開買付届出書の提出は翌1月18日付)。しかし、2月8日にライブドア(現・LDH)およびライブドア・パートナーズ(LFホールディングスを経てフジテレビに吸収合併し消滅)が、ニッポン放送の株式を合計約35%を取得し、同社の筆頭株主となったと発表した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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