『フォースタス博士』はより以前の物語に基づいており、ファウスト伝説の最初の演劇化だと考えられている。[12] 。一部の学者は、マーロウは一般にThe English Faust Bookと呼ばれる、広く普及した1592年の翻訳から物語を発展させたと考えている[17][18]。これより前にHistoria von D. Johann Faustenという、1587年に刊行されたが失われたドイツ語の版があったと考えられており、これじたいが同様にまともな形で残っていないより以前のラテン語のパンフレットから影響を受けている可能性がある[19]。
15世紀末の数人の占い師や魔術師は、「恵まれた」「幸運な」というラテン語に基づくFaustusという名前を用いた。典型的な例は、占星術師・手相占い師と自称し、その営業によってインゴルシュタットから追放されたゲオルギウス・ファウストゥス・ヘルムステテンシスである。後の注釈者はこの人物を伝説上のファウストの原型であるとみなしている[20]。 『フォースタス博士』は13場(1604年版)もしくは12場(1616年版)の戯曲で、ブランクヴァースと散文で書かれている。研究者達はこの戯曲の構成を、その歴史と文体に沿って論評・分析してきた。レオナード・H・フレイは、主に開幕と終幕でのフォースタスの独白に焦点を当てた論考を執筆した。フレイは「独白は、あるいは他のどんな演劇的仕掛けよりも、舞台上の出来事への想像的関心に観客を没頭させる」と述べ、『フォースタス博士』の中の独白の重要性を強調している[21]。 また、冒頭と終幕の独白はコンセプト上で対比されている。冒頭の独白で、フォースタスは彼の人生の運命と、どのようなキャリアを望むかについて熟考し始める。彼は自分の魂を悪魔に与えるという解決を決断して独白を終える。同様に終幕の独白でも、フォースタスは熟考を始め、最終的に自ら定めた運命を受け入れる。フレイはまた、「終幕の独白の全体的なパターンは開幕の独白の残酷なパロディーとなっており、そこでは決定が概観の前ではなく後で下される」と説明している[21]。 『フォースタス博士』は魔界との怪しげな交流を描いたことによって多くの論争を生み出した[22] 。マーロウ以前はこうした試みは少なかったが、『フォースタス博士』以後、他の作家達も超自然的な世界へと目を向け始めた[23]。 フォースタスは法学、論理学、科学、神学のいずれにも満足できず、魔術に「魅了」 (1.1.112)されて邪悪な術に没頭する。チャールズ・ニコル
構成
批評
スーザン・スナイダーによれば、メフィストフィリスはフォースタスが自らの計画を遂行した場合に耐えねばならない苦痛を予告している[25]。 『フォースタス博士』の最初のテレビ番組としての翻案は1947年にBBCによって放送された。フォースタスを演じたのはデイヴィッド・キング・ウッド
翻案
『フォースタス博士』は1967年にリチャード・バートンとネヴィル・コグヒル(英語版)によって映画として翻案された(『ファウスト悪のたのしみ(英語版)』)。この映画は、エリザベス・テイラー演じるトロイのヘレンの相手役としてバートンがフォースタスを演じたオックスフォード大学演劇協会の公演に基づいていた[27][28]。
日本語訳
松尾相訳『フォースタス博士』(岩波文庫、1929)[29]
細川泉二郎訳『フォースタス博士の悲話』(愛育社、1948)[30]
平井正穂訳『フォースタス博士の悲劇』、『世界文学大系14』収録(筑摩書房、1961)[31]
その後、『筑摩世界文学大系18』など複数の作品集に再録[32]
千葉孝夫訳『マルタ島のユダヤ人・フォースタス博士』(中央書院、1985)[33]
小田島雄志訳『マルタ島のユダヤ人・フォースタス博士』(白水社、1995)[34]