フォークロック
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アイルランドでは、ヴァン・モリソン[注釈 3]とゼム[注釈 4]が活躍した。後年、ザ・ポーグスらがアイルランド民謡とパンク・ロックを結び合わせた。

ドイツのフォーク・ロックには、オライリー・バンド、ダルタニアンらがいた。ノルウェーでは、ゴーテが、ノルウェーの伝承文学のひとつであるスティーヴ(stev、即興詩)とロックの融合が試みられた。東欧のルーマニアでは、1962年に結成されたトランシルヴァニア・フェニックスや、スピタルル・デ・ウルジェンツァが活動した。また、ウクライナの西方に位置するモルドバのズドッブ・シ・ズドッブは、民族音楽とロックを融合した楽曲を発表した。
日本のフォークロック

1960年代後半、GS時代のカバーとしては「今日を生きよう」をカバーしたテテンプターズ[9]PPMの「500マイル」をカバーしたザ・スパイダース、 フォーク・サイドでは、「ベリー・ラスト・デイ」(PPM)のトワ・エ・モワ、ママス&パパス夢のカリフォルニア」のモダン・フォーク・フェローズなどがあげられる。アメリカのバーズラヴィン・スプーンフルなどを経てカバー/コピーから吸収し、日本の民謡(フォーク)を取り入れた寺内タケシとバニーズ、などのバンドやフォーク・グループが登場し、マイク眞木「バラが咲いた」の作詞・作曲を浜口庫之助が担当。村井邦彦[注釈 5]いずみたくらが新しい日本のポップス・ロック音楽を模索していた。

1969年11月村井邦彦日本コロムビアとの契約から発足、村井は先行して1967年作曲家業を開始、作詞家山上路夫安井かずみなどと共作し、様々なバンドやミュージシャンのプロデュースと編曲家を務めている。アルファ初期には赤い鳥ガロ[注釈 6]などが在籍、他社東芝音工に村井と山上が楽曲提供したトワ・エ・モワなど カレッジ・フォーク[注釈 7]とも呼ぶミュージシャンたちと制作作業を行った。

フォーク系ミュージシャンは他に岡林信康、高田渡、加川良、フォーク・クルセダーズ、ソルティ・シュガー、五つの赤い風船、遠藤賢司、あがた森魚、頭脳警察、初期のRCサクセション、上條恒彦と六文銭、森山良子、トワ・エ・モワ、五つの赤い風船マイク眞木ザ・リガニーズ、ふきのとうなどが活躍した。70年代前半には、井上陽水吉田拓郎が大ヒットを放った。荒井由実は1975年に、ばんばんに「いちご白書をもう一度」を提供した。1970年代後半には、ニューミュージックの登場により、フォークロックは衰退していった。

 
主なミュージシャン
米国/カナダ
ソロ・シンガー

アメリカ、カナダのフォークロック音楽家
ボブ・ディラン[10]

ニール・ヤング[注釈 8]

バリー・マクガイア[注釈 9]

メラニー[注釈 10]
ウッドストック・フェスティバルに出演。
バフィー・セントメリー[注釈 11]
いちご白書』の主題歌「サークル・ゲーム」(ジョニ・ミッチェル作詞作曲)で知られる、ネイティヴ・アメリカン系の女性フォークシンガー。
ホセ・フェリシアーノ[11]

リッチー・ヘヴンス

ジョニ・ミッチェル[注釈 12]
カナダ出身。
ティム・ハーディン

ティム・バックリー

ロジャー・マッギン

ギリアン・ウェルチ
マンハッタン出身、ロサンジェルス育ち。ブルーグラス、オールドタイム、ネオトラディショナル・カントリーのシンガーソングライター。
フィル・オクス[12]
1940年、テキサス州エル・パソ出身。トピカルソング・シンガー。
アーロ・ガスリー[注釈 13]


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