フォークロック
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イギリス

ボブ・ディランらを刺激した、アメリカの反体制的な文学ビート・ジェネレーションは、モダン・ジャズを愛好し、イギリスのモッズ文化誕生のきっかけの一つにもなった。戦後世代のイギリスの若者の間でのフォークやロック、ブルース、ブルース・ロックのブームが、1960年代に到来した。

ビートルズやローリング・ストーンズらを中心としたブリティッシュ・インヴェイジョンは、アメリカ、イギリスのフォーク・ロックの隆盛に、大きな影響を与えた[6]。フォーク・ミュージシャンによる取り組みでは、ドノヴァンが1965年デビュー、1966年(イギリス発売は1967年)ドノヴァンはアルバム「サンシャイン・スーパーマン」を発表。この年からプロデュースを担当するミッキー・モストが初期サイケデリック・ロックの影響をここに持ち込みアレンジに工夫を凝らした。

1968年ペンタングル結成。フォークソロ歌手ジャッキー・マクシーとそのギタリストバート・ヤンシュジョン・レンボーンに、ドラムスとウッド・ベースはジャズ奏者で、アコースティック楽器を電気増幅で音量を大きくした、ジャズ色のあるアレンジでトラディショナル・ブリティッシュ・フォークやオリジナルを演奏した[7]。1962年創業でフォーク作品中心に販売していたトランスアトランティック・レコード(en)と契約、この頃はイギリスで「エレクトリック・フォーク」(Electric Folk) とも呼んでいた。

1967年デビューのフェアポート・コンヴェンションはイギリス独自のフォーク・ロックを提示した。1970年スティーライ・スパンは、フェアポート・コンヴェンションを脱退したアシュリー・ハッチングスが結成した。ギター奏者マーティン・カーシーが参加。アルバム『テン・マン・モップ、あるいはレザヴォア・バトラー氏捲土重来』発表後、ハッチングスとカーシーは脱退、スティーライ・スパンはマディ・プライヤーを中心にドラムス担当を加入させトラディショナル・フォークをロック寄りにしたフォークロックを展開した。

マーティン・カーシーは再び伝承民謡でソロ活動の基本に戻り、平行してアシュリー・ハッチングスらのセッションやブラス・モンキーに参加し現在に至る。左派系のトピック・レコードは、フォークのレコードを多数発表した。そしてヒッピー・バンド、インクレディブル・ストリング・バンドのようなイギリスのフォークロックにおける試みは、サイケ・フォークへ繋がっていく。
西欧、南欧、北欧、東欧

スウェーデンではガルバナ、ジェゼベル、ビョルン&ベニーなどが活躍した[8]フランスのフォークロックではTri Yannらが活動した。アイルランドでは、ヴァン・モリソン[注釈 3]とゼム[注釈 4]が活躍した。後年、ザ・ポーグスらがアイルランド民謡とパンク・ロックを結び合わせた。

ドイツのフォーク・ロックには、オライリー・バンド、ダルタニアンらがいた。ノルウェーでは、ゴーテが、ノルウェーの伝承文学のひとつであるスティーヴ(stev、即興詩)とロックの融合が試みられた。東欧のルーマニアでは、1962年に結成されたトランシルヴァニア・フェニックスや、スピタルル・デ・ウルジェンツァが活動した。また、ウクライナの西方に位置するモルドバのズドッブ・シ・ズドッブは、民族音楽とロックを融合した楽曲を発表した。
日本のフォークロック

1960年代後半、GS時代のカバーとしては「今日を生きよう」をカバーしたテテンプターズ[9]PPMの「500マイル」をカバーしたザ・スパイダース、 フォーク・サイドでは、「ベリー・ラスト・デイ」(PPM)のトワ・エ・モワ、ママス&パパス夢のカリフォルニア」のモダン・フォーク・フェローズなどがあげられる。アメリカのバーズラヴィン・スプーンフルなどを経てカバー/コピーから吸収し、日本の民謡(フォーク)を取り入れた寺内タケシとバニーズ、などのバンドやフォーク・グループが登場し、マイク眞木「バラが咲いた」の作詞・作曲を浜口庫之助が担当。村井邦彦[注釈 5]いずみたくらが新しい日本のポップス・ロック音楽を模索していた。

1969年11月村井邦彦日本コロムビアとの契約から発足、村井は先行して1967年作曲家業を開始、作詞家山上路夫安井かずみなどと共作し、様々なバンドやミュージシャンのプロデュースと編曲家を務めている。アルファ初期には赤い鳥ガロ[注釈 6]などが在籍、他社東芝音工に村井と山上が楽曲提供したトワ・エ・モワなど カレッジ・フォーク[注釈 7]とも呼ぶミュージシャンたちと制作作業を行った。


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