フォークロック
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1965年、フォークスタイルの楽曲にエレクトリック・ギターを取り入れたバーズの「ミスター・タンブリン・マン」、ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」などのヒット曲が生まれ、フォークロックは北アメリカにおける主要な音楽ジャンルとなった.[2][3]。バーズはピート・シーガーの曲「ターン!ターン!ターン!」もヒットさせた[4]

この北アメリカでの動きに触発され、イギリスケルト圏でも様々なフォークロックの様式が見られるようになった。スコットランドウェールズコーンウォールブルターニュなど、各地域の民俗音楽とロックの融合が図られた。この音楽的試みには、フォーク・ミュージック(民俗音楽)とロック双方の分野のミュージシャンが取り組んだ。そして更に、ヨーロッパの他の地域でもフォークロックに取り組む音楽家が現れてきた。ウディ・ガスリー[注釈 1]ピート・シーガー、および戦前1930年代の左翼人民戦線運動から生まれた文化に強く影響を受けている。

都市を拠点としてフォークソングを歌い始めたのは、アルマナック・シンガーズであった。このグループは、1930年代後期から1940年代初期にかけて、ガスリーシーガー、リー・ヘイズ他、メンバーを替えつつ活動した。第二次世界大戦下を経て1947年に、シーガーとヘイズは、ロニー・ギルバート、フレッド・ヘルマンと組み、ウィーヴァーズを結成する。ウィーヴァーズは、レッドベリーの「アイリーン」をカバーし大ヒットさせ、この分野は一般大衆の間に広がっていった。文学1950年代に隆盛をきわめたビート・ジェネレーションは、ジャズと密接な関係を持つ一方、ボブ・ディランらその後のフォーク・シンガー達に大きな影響をもたらした。

彼らは1950年代初期の赤狩りに巻きこまれ、1955年ピート・シーガーは下院非米活動委員会で、彼の思想的な所属を証言することを拒否したことで、有罪判決を受けた[5]。シーガーらのサウンド、および民俗音楽や社会問題を題材とした楽曲は、キングストン・トリオ、チャド・ミッチェル・トリオや、ピーター・ポール&マリー、モダン・フォーク・カルテットなどに影響を与えた。彼らの歌詞や音楽性は、プロテスト・フォークやブロードサイド・バラッド(時事問題を扱う社会性の強い歌)の発展に大きく寄与した。1963年のワシントン大行進には、ボブ・ディランや俳優マーロン・ブランドらが参加している。

ブリティッシュ・インヴェイジョンの現象は、フォーク・ロック誕生の直接的な要因となった。ビートルズローリング・ストーンズ、その他のバンドが、ロックには創造的な媒体として可能性があることをアメリカのミュージシャンに改めて認識させた。
アメリカ

アメリカ合衆国で最もフォークロックが活動的であったのは1960年代中頃から1970年代中頃だった。これはヒッピー[注釈 2]現象とほぼ時を同じくする。ボブ・ディランやそれ以前のウディ・ガスリーらのミュージシャンのフォークソング、フォーク・リヴァイヴァルにおけるボーカル・グループ、ロックなどの要素が融合され、さらにハンク・ウィリアムズらの古いカントリーからの影響も見られるようになった。

また、ママス&パパススコット・マッケンジージェファーソン・エアプレインらもヒットを放った。1970年代にはジャクソン・ブラウン、ブルース・スプリングスティーンら、80年代にはスザンヌ・ヴェガ、トレイシー・チャップマンら、90年代以降には4ノン・ブロンズ、シックスペンス・ノン・ザ・リッチャーらが活躍した。
イギリス

ボブ・ディランらを刺激した、アメリカの反体制的な文学ビート・ジェネレーションは、モダン・ジャズを愛好し、イギリスのモッズ文化誕生のきっかけの一つにもなった。


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