日本の流行歌史を辿っていくと、いつの時代にも洋楽を新たな形で取り組むことで、新しい表現が生まれてきたという面があり[出典 29]、フォークソングも同様である[出典 30]。1960年代前半には知る人ぞ知るある種のサブカルチャー的な存在だったフォークソングが[35]、1970年代にはレコードの売上げを始めとして日本のポピュラー音楽史上で避けて通ることの出来ないほど、メインカルチャーにまで登りつめたことは特筆すべきトピックといえる[出典 31]。 日本のフォークソングの起点をどこに定めるかは難しい[出典 32]。日本のフォークソングの源流は、1950年代に起こった日本のうたごえ運動に、1959年以降に商業的な色合いと様式を身にまとい[出典 33]、海外のヒットソングとして日本に上陸してきたキングストン・トリオ[64]、ブラザーズ・フォア、ピーター・ポール&マリー(PPM)らを合体したものが「日本版フォークソングの誕生」という見方が多い[出典 34]。小室等は「1950年代の終わり中学のとき、キングストン・トリオの『トム・ドゥリー』を聞いた。それはフォークソングとして耳にしたのではなく、デル・シャノンやコニー・フランシスらのアメリカのポップスのチャートに上がってきたヒット曲の1つとして聞いた」と証言している[68]。田家秀樹は「1959年にビルボードNo.1ヒットを記録した『トム・ドゥリー』が日本に紹介され、それまでの日本の歌謡曲とは全く違う新しい音楽として影響を与えるところから日本のフォークソングは始まっている」と論じている[69]。1959年以降に当時のラジオから日本に入ってきたカントリー&ウエスタンを学生たちがコピーしていたら、「アコースティックギターの音は似てるんだけど何か違う、これはいったい何だ?」と気付いた者がいて[63]、当時の先端をいっていた学生たちが、アメリカの音楽雑誌を取り寄せて「どうやらこれはフォークソングというらしい」と気付いたというのが、日本で「フォークソング」という言葉が入ってきた始まりという説もある[63]。これらの話から日本では明治時代に「folk music」を「民謡」と訳して以降、「フォークソング」という言葉は全く認知されずにこの時代まで来たと想像される[70]。それでフォークソングはかっこいいとなり、日本で多くのフォークソンググループが出来たといわれる[63]。覚えやすく歌いやすいフォークソング、コピーが流行り、フォークギターもよく売れた[9]。 1963年9月27日付の『読売新聞』夕刊に「最近のアメリカ軽音楽界 完全に民謡ブーム 大学生たちが熱烈な推進」という見出しで「民謡」と「フォークソング」を等号で結び、ジョーン・バエズら著名な歌手を紹介している[出典 35]。この記事では日本の民謡歌手の代表として三橋美智也にコメントを求めるなど、フォークソングの概念を伝統的なフォークソング(民謡)と混同しており[35]、少なくとも日本でこの時点ではアメリカの「フォーク・リバイバル」後の所謂「モダンフォーク」については広まっていなかったと考えられる[35]。また同じ1963年の『ミュージック・ライフ』は、PPMを「女性一人、男性二人の民謡コーラスチームです。モダン・ジャズでもやりそうなスタイルです」などと紹介しているという[9]。翌1964年になると民謡ではなく、フォークソングという表記が一般化し[32]、概ね 1965?1966年頃、音楽ジャンル名としての「フォーク」が定着したと見られる[出典 36]。ボブ・ディランのレコードデビューは1962年3月で[20]、ボブ・ディランのシングル盤が日本で発売されたのは、1965年の「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」(邦題「ホームシック・ブルース」)が最初で[70]、発売元の日本コロムビアはボブ・ディランに「ウエスタン調ロックにつづる哀愁」とキャッチコピーを付けた[70]。ウエスタンという言葉が使われているのは、この前に日本でカントリー&ウエスタン(C&W)のブームがあったからだった[出典 37]。 『朝日新聞』1966年4月24日付に「フォークソング大はやり 若者の生活に密着」という見出しの記事が載り[71]、「最近、フォークソングが、若者を中心とする歌好きの人々の間ですごくはやっている。ひところのエレキブームのようなハデな騒がしさはないが、若い人たちによってその魅力はなかなか大きいようだ。フォークソングが日本に入って来たのは3、4年前。アメリカでジャズとは別に、歌手と聴衆が一緒になって歌う新民謡が生まれ、これがフォークソングと呼ばれた。最近は反戦歌など社会性を持ったものが人気を呼んでいる」と書かれている[71]。
源流
流行の開始