フランスではライオネル・ロシュマン(Lionel Rocheman)が組織したアメリカンセンターでの最初の音楽祭、フーテナニーによって1964年ごろからパリでフォーク運動が始まった。フランスの著名なフォーク歌手にはフランシス・キャバレルらがいた[26]。1960年代末にはフォーク運動は、パリ五月革命と同様の政治的、社会的運動となる。参加と表現の民主化、文化的イベントの自己管理の中からこの動きが発生した。
1960年代、70年代のフランスのフォーク音楽家としては、グレアム・オールライト[27]やトライ・ヤン・Tri Yannやアラン・スティベルらがあげられる。彼らの登場は民俗復活と呼ばれ、他のヨーロッパ諸国でも同様に伝統的な歌のリバイバルや、伝統的な楽器( バイオリン、バグパイプ、ハーディガーディなど)を使用する伝統的なスタイルの音楽再興の象徴となった。また2000年代にはコクーンが登場し、15万枚のヒットを記録した[28]。
ギリアン・ウェルチらのネオ・トラディショナル・フォークも、アメリカで人気となった[29]。これとは別にネオフォークというジャンルも登場した。1980年代初期から、 インダストリアルシーンで少数のアーティストが新しいヨーロッパのフォークミュージックを作成しようとした。ネオフォークと呼ばれるこの流れは、アングロサクソン民族運動の影響を強く受けているが、異教、ロマン主義、オカルトなどのテーマは、ヨーロッパ文化と歴史への興味を示している。1990年代、メタルバンドは楽器、メロディ、伝統的なテキストを使用して音楽をミックスしはじめる。この流れはフォークメタルまたはメタルフォークと呼ばれる。
今日、日本で「フォークソング」「フォーク」と呼ばれるものは、1950年代後半にアメリカで他の音楽ジャンルと共に興ったリバイバル現象
主なフォークソング
我が祖国(英語版) (This Land Is Your Land) - ウディ・ガスリー
ウイ・シャル・オーバーカム - ピート・シーガー
風に吹かれて (Blowin' in the Wind) - ボブ・ディラン
孤独の旅路(英語版) (Heart of Gold) - ニール・ヤング
特に著名なアーティスト
ボブ・ディラン
ニール・ヤング
ウディ・ガスリー
ピート・シーガー
ビクトルハラ
ジョニ・ミッチェル
ディック・ゴーハン[30]
ユアン・マッコール
ニック・ジョーンズ
ゴードン・ライトフット
レッドベリー
リッチー・ヘヴンス
ランブリン・ジャック・エリオット
キングストン・トリオ
ブラザーズ・フォア
マーティン・カーシー
リチャード・トンプソン
ジョーン・バエズ
フィル・オクス
ニュー・クリスティ・ミンストレルズ
フェアポート・コンヴェンション
メラニー・ソフィカ
モダン・フォーク・カルテット
ジュディ・コリンズ
アーロ・ガスリー
ウィーヴァーズ
バック・オウエンス
ペンタングル
バフィー・セント・メリー
イービー・サンズ
サンディ・デニー
イライザ・カーシー
日本のフォーク
「フォークソング」「フォーク」
「英語で"フォークソング"はもともと民謡の意」と説明されることが多い[出典 19]。ドイツ語の「volkslied」、また英語の「folk song」の訳語として明治期から用いられるようになった言葉という[32]。町田嘉章・浅野建二著『日本民謡集』(1960年初版、岩波書店)の中で浅野は「フォークソング=民謡という訳が生まれた明治時代には、ありとあらゆる大衆音楽を民謡と分類していたことがある」と解説している[34]。つまり日本にもアメリカにも当時はまだ音楽ジャンルがたくさん無く、フォークソングを表す適切な言葉が無く、フォークソング=民謡と訳し、これが今日まで残っているものと考えられる[35]。今日日本で言う「フォークソング」「フォーク」と「日本の民謡」は全く違うため[出典 20]、日本のフォークソングは日本の民謡とは別のものと考えた方がよい[出典 21]。全国新聞の記事で、音楽ジャンル名としての「フォーク」という言葉の使用は『朝日新聞』夕刊1962年4月6日付の「音楽評」「清潔な魅力 ブラザース・フォアの民謡」という記事が初出と見られている[32]。「フォーク」という言葉の浸透については、1950年代において「フォークダンス」の導入と普及も影響があるのではないかという見方もある[32]。日本の「フォークソング」「フォーク」は、1960年代前半にブームとなった生ギターを中心としたアコースティックな音楽[36]が入口ではあったが[33]、実際にはリズム・アンド・ブルースやカントリーミュージック、ロックなど、他のアメリカンポップスに交じって日本に流れ込んできた大衆音楽の影響も受けている[出典 22]。