後者のポピュラー音楽のフォークソングのほうは、伝承民謡の形式や感覚を借りて作られた歌のことで、伝承民謡が作者不明なのに対し、後者は職業的な作者が作詞・作曲し職業的な歌手が歌って商品化が行われていることが多いところが異なっており、実質的には民俗音楽ではなくてポピュラー音楽に分類される[1]。後者の内容は(伝承民謡同様に)民衆の素朴な情感を歌う歌も多数あるが、現代の社会問題、反戦思想などを歌うものがむしろ多く[1]、つまり反戦歌などのプロテストソングも範疇に含まれる[2]。本来のフォークソングの演奏は、アコースティックギターやバンジョーなどを使用した弾き語りを主体とし[2]、電気楽器は使わないのが伝統的音楽表現であった[2](そこがフォークロックやロックとは異なっている)。 「フォーク・ミュージック」は、アメリカ合衆国(以下、アメリカ)で19世紀に研究者や愛好家によって蒐集された[6]。レコード会社はアメリカでは19世紀末にはすでに存在していたが[出典 4]、アメリカ南部の民族音楽を開拓するところまではいかなかった[7]。南部が音楽の宝庫であることに気づくのはずっと後になってからだった[7]。商品としてのレコードが作られたのは1890年だが、1本のシリンダーに1回の吹き込みしか出来ず、注文数に応じて吹き込みを何度もやってくれる歌手を探すのも大変だった[7]。シリンダーから円盤レコードになるのは、20世紀に入ってからで、1920年代に円盤レコードと蓄音機がレコード会社の商品として、市場に流通し始めた[出典 5]。 1929年の世界大恐慌後に誕生したフランクリン・ルーズベルト政権は、不況克服のためにニューディール政策を施行したが、それは政治経済分野だけでなく、文化的にも大きな影響を及ぼした[6]。「フェデラル・ワン」と呼ばれる芸術支援政策には多くの作家や音楽家が地方のコミュニティに派遣され、地元のブルースやワークソング、エスニック文化の採集を命じられた[6]。すでにアメリカ議会図書館にはアメリカのフォークソングを管理/保存する「アーカイブ・オブ・アメリカン・フォークソング
最も一般的な名称は「フォークミュージック」であるが、英語圏では「民謡」の意味のFolk Musicと区別するために「コンテンポラリー・フォークミュージック」または「フォーク・リバイバル(ミュージック)」などと呼ばれた[出典 3]。
歴史
第二次世界大戦後にソ連との冷戦が始まるとアメリカ国内の共産主義者に対する赤狩りが吹き荒れ、ジョセフ・マッカーシー上院上院議員は「フォーク」という用語を共産主義と結びつけて攻撃した[出典 9]。マスメディアは一斉に「フォーク」という用語を使用を控え、「カントリー」という言葉が流通するようになった。カントリー・ミュージックというジャンル名は1940年代に入って用いられたものだったが[6]、これをきっかけとして「カントリー・ミュージック」というジャンル名が定着した[6]。本来同じカテゴリーの音楽を目指していたはずの「フォーク・ミュージック」と「カントリー・ミュージック」はこれを機に政治的に離反した[6]。