フォークソング
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでは、ボブ・ディランエレキ・ギターを抱え、バック・バンドをしたがえて登場し、大ブーイングを浴びた[出典 14](Electric Dylan controversy)。このエポックメイキングな事件を境に「フォークソング・リバイバル」ブームは急速に衰退した[15]。これはかつてフォークとロックが水と油のような関係であったことを象徴する事件といえる[14]。反近代主義と反商業主義を掲げる「フォーク・ミュージック」で重要視されるのは歌のメッセージであり、言葉の伝達を容易にする場の親密さである[12]。フォークに傾倒する人々にとってはエレキ・ギターはテクノロジーの象徴であり、大音量で歌詞が聞き取りにくく、ビートルズに代表される商業主義のシンボルとして認めるわけにはいかなかった[12]。ボブ・ディランの演奏中にバックステージでは、ピート・シーガ―が怒りに震えながらを振り回してシールドケーブルを切ろうとしたなどの逸話も残る[12]。結果的にロックはここでフォークが持っていた反体制的で反商業主義的なイデオロギーを引き継ぎ、それを商業主義の枠内で実践しようとするジャンルとして発展していく[12]。ボブ・ディランの事件以降、1967年までの間に音楽用語として「ロック」が定着し[12]、「ロックンロール」という用語と区別されて使われるようになった[12]

フォーク・シーンで活躍していたボブ・ディラン、ニール・ヤングジョニ・ミッチェルバーズなどのミュージシャンは、1964年のビートルズのアメリカ上陸に影響を受け、エレクトリックギターエレクトリックベースドラムスというロックの楽器編成(但し、アコースティックギターを併用する場合も多い)で演奏するようになった[14]。これをフォークロックと呼ぶ。アメリカではフォークロックの開祖はバーズと論じられることが多いという[7]。『読売新聞夕刊1965年9月25日付に「最近のアメリカ人の好みとしては、小・中学生はゴーゴー、ヒッチ・ハイク(英語版)、ワッシなどのダンス伴奏としてのエレキ・ギターを中心とするロックン・ロール・ミュージック、そして高校生や大学生はフォーク・ミュージック、二十代はミュージカルの中のヒット・メロディーというように大別される」と書かれている[16]
イギリスやカナダのフォーク・リバイバル

また英国でもリチャード・トンプソン率いるフェアポート・コンヴェンションやディック・ゴーハン、ユワン・マッコール、ペンタングル、スティールアイ・スパンなど、フォークソングを演奏するミュージシャンが活躍した。1960年代半ば、アイルランドのホースリップス、イギリスのフェアポート・コンヴェンションスティーライ・スパンが 、ロックの伝統的な楽器要素: エレキギターベースドラムを使用した。1960年代後半には、民俗復興により、ドノヴァンなどのシンガーソングライターの世代が台頭してきた。イギリスでのフォーク音楽復興運動はブリティッシュ・フォーク・リバイバルと呼ばれている。

またニール・ヤング、バフィ・セント・メリー、ゴードン・ライトフット 、 レナード・コーエンジョニ・ミッチェルらのカナダ出身のアーティストも登場した。
1960年代の日本への上陸

フォークソングの中でも「モダン・フォーク」は、1960年代「フォーク・ミュージック・リバイバル」の折に大流行した美しいアメリカハーモニー・コーラスを伴ったグループによるフォークを指す[17]。1960年代に入ると、フォークは商業的な色合いを身にまとい[出典 15]、「海外のヒットソング」として日本に上陸してきた[出典 16]。キングストン・トリオ、ニュー・クリスティ・ミンストレルズ(英語版)、ブラザーズ・フォアピーター・ポール&マリー(PPM)らで[19]、これが日本でカレッジ・フォークブームの火付け役となっていく[出典 17]。キングストン・トリオは1961年1月初来日[20]。1962年4月にはブラザーズ・フォアが[20]、1963年10月にはピート・シーガーが初来日している[20]。以降もハイウェイメン(英語版)、ピーター・ポール&マリー[21]、ニュー・クリスティ・ミンストレルズ、ブラザーズ・フォア、CSN&Y、フィル・オクス(英語版)など多くのアーティストが登場した。
他ジャンルへの影響

1960年代半ばから発展したフォークロックも、この現象の中で進化していった。最初のフォークリバイバルは大衆音楽に大きな影響を与えた。また20世紀後半の「セカンドフォークリバイバル」は、コンサート、レコーディング、放送を通じてアーティストに新しいジャンルのポピュラーミュージックをもたらした。

1970年代、他のグループはこのロック的アプローチを採用した。イギリスのルネッサンスのようなグループは、プログレッシブ・ロックのグループながら、フォーク・ソング的な曲も発表している。
1970年代以降

1970年代以降、アメリカのフォークミュージックはスティーヴ・グッドマン、ジョン・プライン、エミルー・ハリス、ハリー・チェイピンなどの新しいシンガーソングライターによって支えられた。イギリスのルネッサンスはプログレとフォークを融合したロックを演奏した。1980年代初頭のザ・ポーグスと1990年代のアイルランドのザ・コアーズにより、 アルバムチャートに伝統的な曲が取り入れられた。1980年代、ワシントンスクエアでフォークミュージック演奏が行われた。スザンヌ・ベガはフォークとプロテスト・フォーク指向の音楽を披露[22]。また黒人歌手のトレイシー・チャップマンもフォークのヒットをリリースした。エミルー・ハリスやスティーブ・アール、ウィルコ、サン・ヴォルトらのアーティストは、オルタナ・カントリーとフォークの精神を受け入れた。1990年代後半、フォーク・ミュージックはイライザ・カーシー、ケイト・ラズビー、ビル・ジョーンズ(女性)などのアーティストを通じて、音楽評論家や音楽ファンから注目された。カナダにおいて1990年代から2000年代にかけて最も売れたフォークグループは、ニューファンドランド出身のケルト人でロックテイストなグレートビッグシーで、カナダで4枚のアルバムをプラチナヒットさせている。コアーズは1990年から2000年代前半まで活動し、ケルト音楽とポップスを演奏し、2つのジャンルをブレンドした曲を発表した。2000年以降は、ブランディ・カーライルらが活躍した。

なお、ネオフォーク (Neofolk) というジャンル名は、欧米のスワンズやコイルらのバンドの音楽を指している。2007年に結成されたマムフォード・アンド・サンズなどのフォーク・ロックおよびインディー・フォーク・バンドは、2010年にブレイクし、シェナンドーランは2011年に1960年代の現代アメリカのフォークミュージックを現代のリスナーに届けるために結成されたバンドである[23]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:418 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef