彼は世界中の映画雑誌にも寄稿していた。例えばアルゼンチンの雑誌 La Cosa: Cine Fantastico には4年間コラムを連載していた。
1960年代、アッカーマンはドイツのSFシリーズ「宇宙英雄ペリー・ローダン」シリーズの英語訳をアメリカで出版することを企画した。史上最も長い小説シリーズである。1967年から1977年までエース・ブックスで出版された。アッカーマンの妻はドイツ語も堪能で、ほとんどの翻訳を行った。アメリカ版の同シリーズは不定期に月1冊から月4冊まで出版された。後にエース・ブックスの経営方針が変わったため、ペリー・ローダンはドイツ版の126話までで打ち切られた(2話を1話にしたものや、飛ばしたエピソードがあるため、実際のアメリカ版の話数は118だった)。後にアッカーマンはドイツ版の127話から145話までを出版した。ちなみにドイツでは同シリーズは2007年に2400話を越え、今も続いている。 SF「B級映画」をこよなく愛したアッカーマンは、『ハウリング』や『イノセント・ブラッド』などモンスター映画やSF映画の端役を含めれば210以上の映画にカメオ出演している。マイケル・ジャクソンの「スリラー」のミュージックビデオにもカメオ出演している。 小説にも登場人物としてアッカーマンがでてくるものがいくつかある。デイヴィッド・マクダニエルの0011ナポレオン・ソロものの一作『ナポレオン・ソロ8/ソロ対吸血鬼』やフィリップ・ホセ・ファーマーの『淫獣の妖宴』には実名で登場している。ラリー・ニーヴンとジェリー・パーネルの合作『天使墜落』では、アッカーマンとアッカーマンションをモデルにした人物と家が登場する。 SF界をテーマにした2006年のドキュメンタリー映画 Finding the Future[19] にはアッカーマンが出演しており、様々なことを語っている。2007年のドキュメンタリー映画 Famous Monster: Forrest J Ackerman[20] はアッカーマンを対象にしたものだが、イギリスでしか放映・DVD販売されていない。 1953年、SF雑誌の投書欄で知り合った矢野徹をアメリカに招待し、半年間自宅に滞在させた。矢野はこの間に第11回ワールドコンPhilcon2に参加し、多くの編集者・作家の知遇を得た[21]。1977年5月、日本SF作家クラブはSF同人雑誌「宇宙塵」発刊20周年式典にアッカーマン夫妻を日本に招待した。スターログ日本語版でも氏のコレクションなどが紹介された。また、新田たつおのコミック『怪人アッカーマン』の個性的な主人公にアッカーマンの名前が使用されている。 アッカーマンは「100歳まで生きてSF界のジョージ・バーンズになる」と言っていた。しかし健康が衰え、2008年3月19日がMySpaceへの最後のログインとなった。友人やファンたちはメールで激励のメッセージを送った[22]。同年11月6日ごろから早まった訃報が何回か伝えられた[23]。ジョン・ランディスは後に「彼はかなり病状が悪化していたが、バラク・オバマに投票するまでは死ねないと語り、その通りに投票した」と語っている[24]。
映画その他への出演
日本SF界との関わり
死
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