フォルム・ロマヌム
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1:タブラリウム, 2:コンコルディア神殿, 3:ウェスパシアヌスとティトゥス神殿, 4:サートゥルヌス神殿, 5:セプティミウス・セウェルスの凱旋門, 6:ロストラ, 7:帝都ローマ基準点, 8:黄金の里程標, 9:ティベリウスの凱旋門(英語版), A:クリア・ユリア, B:コミティウム(英語版), C:ラピス・ニゲル, D:フォカスの記念柱, E:フォルム(広場), F:バシリカ・ユリア, G:バシリカ・アエミリア, H:カストルとポルックス神殿, J:カエサル神殿, K:アウグストゥスの凱旋門(英語版), L:アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿, M:レギア, N:ウェスタ神殿, P:ウェヌス・クロアキナ祠(英語版), Q:ヤヌス神殿
フォルム・ロマヌムと周辺の広域平面図0102030405


皇帝たちのフォルムパラティウムカピトリヌスフラウィウス闘技場


01:マクセンティウスのバシリカ, 02:ウェヌスとローマ神殿, 03:ティトゥスの凱旋門, 04:ウェスタの巫女たちの家, 05:ロムルス神殿(英語版)
遺跡右奥の白い建物はヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂。その手前の左の大きな建物が市庁舎で、その下部構造が公文書館(タブラリウム)である。さらに手前の遺構は、左よりサトゥルヌス神殿、ウェスパシアヌス神殿、コンコルディア神殿(基礎のみ)、フォカスの記念柱、セプティミウス・セウェルスの凱旋門。写真右下の小さな円形神殿(一部が残る)がウェスタ神殿。その上がデイイウス・カエサル神殿(基礎のみ)。右中央にバシリカ・アエミリア(壁の下部構造のみ)。写真左の3本の柱のみが残るものがカストルとポルックス神殿。写真中央がセプティミウス・セウェルスの凱旋門で、その左に建つ建物がクリア・ユリア。

フォロ・ロマーノには大小様々な遺跡が残っている。ウィア・サクラ(聖なる道)に沿って、西から東に向けて以下の順に並ぶ。
タブラリウム
国家公文書館。紀元前78年に、独裁官ルキウス・コルネリウス・スッラによって建立された。フォルムの西端に位置する建築物で、フォルムのいわば舞台背景の役割を果たし、同時にカピトリーノの丘にあったユノ・モネタ神殿(造幣局として機能)とユピテル・オプティムス・マキシムス神殿を接続した。
コンコルディア神殿
初代皇帝アウグストゥスが起工し、次代のティベリウス10年に完成させた神殿。現在は基礎部分しか残っていない。
ウェスパシアヌス神殿
皇帝ドミティアヌスによって建設された神殿。現在は3本のコリント式の柱のみが残る。
セプティミウス・セウェルスの凱旋門
フォルムの西端に建つ記念門。皇帝セプティミウス・セウェルスのパルティア遠征の戦勝記念として建設され、203年に完成した。高さ23m、幅25m。白大理石の豪華な彫刻によって装飾されている。
ロストラ
演説をするために凝灰岩で造られた高さ3m、長さ12mの演壇。ロストラとは船首を意味する言葉で、台の周囲に敵船の船首をはめ込んでいたことに由来する。演壇の脇には「ローマの臍」と、主要都市までの距離を金文字で刻んだ里程票が設置されていた。
サトゥルヌス神殿
アエラリウムとも呼ばれ、共和制から帝政時代にかけて国家宝物庫として機能した神殿である。ムナティウス・プランクスによって紀元前30年頃にも再建されているが、現在の神殿は497年に再度建設されたものである。
クリア・ユリア
元老院議事堂。ガイウス・ユリウス・カエサルによって起工され、アウグストゥスが紀元前29年に完成させたものを、皇帝ディオクレティアヌスが再建した。現在の建物は、さらにそれを20世紀に復元したものである。共和制時代から帝政前期にかけて、ローマの政治的中枢として機能した、いわば国会議事堂である。
フォカスの記念柱
東ローマ帝国の皇帝フォカスによって、608年に建設された記念柱。造営当時は柱の上に皇帝の像が設置されていた。すでに西ローマ帝国は滅びており、フォロ・ロマーノに建設されたローマ帝国による最後の建築物である。
バシリカ・ユリア
火災によって消失したバシリカ・センプロニアの跡に造営されたバシリカ。ガイウス・ユリウス・カエサルによって起工された(皇帝アウグストゥス12年に完成)ため、バシリカ・ユリア(ユリウスのバシリカ)と呼ばれる。5廊式の巨大建築物で、4つの民事法廷が開設されていた。
ウェヌス・クロアキナ祠(英語版)
かつてフォロ・ロマーノの中心に流れていたウェラブルムの小川の女神を祭った祠。この小川はクロアカ・マキシマとして整備され、現在もフォロ・ロマーノの地下を流れる。祠跡はほとんど残っていない。
バシリカ・アエミリア
マルクス・アエミリウス・レピドゥスによって建設されたバシリカ。バシリカ・ユリアとともに重要な裁判が行われた。正面には商店が並び、商取引にも使われた。現在は基礎部分以外、ほとんど消失している。
カストルとポルックス神殿
紀元前6年に皇帝アウグストゥスが造営を開始し、皇帝ティベリウスによって6年に完成した神殿。古代ローマの金融の中心地で、度量衡の管理事務所が備えられていた。神殿の基壇の高さは6.7mに達し、ヴォールト天井の倉庫が設けられている。
サンタ・マリア・アンティクァ聖堂
ローマ最古の教会堂のひとつ。皇帝宮殿の図書館を改装して利用されたが、9世紀地震によって倒壊した。21世紀になって発見され、修復されている。
カエサル神殿
アウグストゥスによって紀元前29年に建てられた神殿。ディウウス・カエサルとは神君カエサルの意で、紀元前49年にユリウス・カエサルが神格化されたことを受けたものである。現在は神殿の基礎構造のみが残る。
アウグストゥスの凱旋門(英語版)
ディウウス・カエサル神殿とカストル・ポルックス神殿の間に建設された、戦勝を記念して造られた凱旋門。現在はほぼすべて失われている。
レギア
ヌマ・ポンピリウス王によって建てられた王宮と伝えられる建築物。紀元前36年にクナエウス・ドミティウス・カルウィヌスによって再建された。この再建において、ルーニ(現カッラーラ)の石切り場の大理石がローマで初めて用いられた。
ウェスタ神殿
ローマのすべてのの火を象徴する神殿。現在の遺構は、205年セプティミウス・セウェルスによって建造されたもので、フォロ・ロマーノで唯一の円形神殿である。中に祭られる火は絶えず燃やし続けられ、これを管理する女性神官はウェスタの巫女と呼ばれた。
巫女たちの家
ウェスタ神殿の巫女たちの住居。
アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿
皇帝アントニヌス・ピウスが、141年に没した皇后大ファウスティナのために捧げた神殿。後にアントニヌス・ピウス自身もここに葬られた。11世紀になると、神殿跡にサン・ロレンツォ・イン・ミランダ聖堂が建設されたが、1602年に神殿の一部を再建するかたちで教会堂が設計しなおされ、現在のような状態になっている。
ロムルス神殿(英語版)
皇帝マクセンティウスが、夭折した息子ウァレリウス・ロムルスのために建設した神殿。しかし、彼がミルヴィオ橋の戦いで戦死したため、未完となった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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