フランス国内では、南西部のペリゴール地方(現ドルドーニュ県)とランド県が主産地で、ガチョウと鴨の両方のフォアグラが生産されている。南西部全体での生産量は、フランスの生産量の75%を占める。また、アルザス地方のストラスブールやラングドック地方のトゥールーズも、産地としてよく知られている。また、ガチョウよりもアヒルの方が飼育が楽で病気にも強いことから、今日では鴨のフォアグラの生産量は増加傾向にある。
フランスのフォアグラ産業は、その関連事業の労働者が約10万人いるといわれる[18]。
2005年に、議会がフォアグラはフランスの文化遺産だとする宣言を行うほど熱心に生産者を保護しているが、動物愛護団体の激しい攻撃があったり、近年ではバイオ燃料の普及でエサとなるトウモロコシの穀物が高騰し、生産コストがかつての10倍以上に上昇した[19]。農家は利益を上げるため飼育数を増やしたが、経済危機が追い打ちをかけ廃業する農家も出ている[19]。
フォアグラの主要生産国であるフランスは、欧州向け以外にも中国、ロシア、ブラジル、大韓民国、台湾などに輸出している[20]。フランス観光開発機構によると、あるフォアグラのブランドは世界120か国に輸出しているとしている[21]。 フォアグラの大産地であるフランス南西部ランド県では、その県都モンドマルサンで2年に一度、「フォアグラエキスポ」(見本市)が行われ、生産者が生産技術を展示する[22][23]。また、フランス南西部のペリゴール地方にあるサルラは、フォアグラの街として知られ、2月の第3日曜に「サルラのガチョウ祭」(サルラ フェストワ:Sarlat Fest'Oie)が開催されたり、「フォアグラルート」 (la route du Foie gras) と呼ばれる、多くの農家がフォアグラを販売する街道もある[21][注釈 1]。 1994年には、フランスのアジャン近郊に世界初の「フォアグラ博物館」(Le Musee du Foie Gras) が開設された[24][25]。 2013年、ヴェルサイユ宮殿ではルイ14世の製法をできるだけ再現したフォアグラが、「Chateau de Versailles - Epicerie Fine」(ヴェルサイユ宮殿-高級食料品)と言う名で販売された[26]。
フランスのフォアグラ文化
ハンガリー(英語版
2006年に欧州に鳥インフルエンザが流行した際、各国がフランス産からハンガリー産に切り替え、これが世界にアピールする機会になったという[19]。ハンガリーでは、年間2500-2600トンのフォアグラ(ガチョウとアヒル)が生産され、約20億フォリントの売上げがあり、これは鶏肉生産高の約1割を占める[28]。また、約5,000人分の雇用を提供する産業でもある[28]。 欧州のユダヤ人は、ローマ帝国の崩壊後もフォアグラの生産に携わり、伝統を伝えた[3]。たとえば、1581年にボヘミア皇帝(現在のチェコ一帯)の料理人がフランクフルトで出版した「新しい料理の本」の中には、「ボヘミアに住むユダヤ人たちに太らせた、3リーヴル(1リーヴル=500g)以上のガチョウの肝臓をローストした」とある[7]。 植物油が入手しにくい寒冷地では、調理油は主に動物から自給されるが、ブタからとれるラードはユダヤ人にとって禁忌であり、バターは乳製品ゆえに肉料理を中心とした献立だけでなく、その後に食べられるデザートにも使用できない。このためカシュルートに適正なガチョウの脂肪を抽出してシュマルツとして利用した。 かつてイスラエルは1940年代-1950年代にヨーロッパから移民したユダヤ人によってフォアグラ生産が行われ、生産量世界3位の国となり600人の労働者と農夫が150の農場に働いていたが、2003年のイスラエル最高裁の決定でフォアグラ生産は禁じられることになった[29]。
ユダヤ人
新しい産地