宗教政策にも取り組み、クリュニー修道院(クリュニー会)から修道士派遣を要請、領土の司教区を整備させキリスト教の浸透を図り、クリュニー修道院へ多額の献金を送った。王室とクリュニー修道院のこの関係は次の世代にも受け継がれていくことになる[3]。
1064年、コインブラを包囲・陥落させ臣従と並行してレコンキスタも前進させた。翌1065年にバレンシアへの遠征途中に病気にかかり、レオンへ戻り間もなく没した[4]。死後、遺言によって遺領は分割され、カスティーリャを長男サンチョ2世が、レオンを次男アルフォンソ6世が、ガリシアを三男ガルシア2世が、トーロとサモラを娘エルビラとウラカがそれぞれ相続した。 1033年、レオン王アルフォンソ5世の娘サンチャと結婚し[5]、以下の子女をもうけた。
子女
ウラカ(1033年/1034年 - 1101年) - サモラを相続
エルビラ(1038年/1039年 - 1101年) - トーロを相続
サンチョ2世(1040年 - 1072年) - カスティーリャ王(1065年 - 1072年)
アルフォンソ6世(1040年/1041年 - 1109年) - レオン王(1065年 - 1109年)、カスティーリャ王(1072年 - 1109年)
ガルシア2世
脚注[脚注の使い方]^ ローマックス、P73 - P74、芝、P72、関、P146、西川、P81 - P84。
^ ローマックス、P74、P80、芝、P74 - P76、関、P149 - P150、西川、P85。
^ ローマックス、P78、芝、P80 - P81。
^ ローマックス、P74 - P76、芝、P76 - P77、関、P150、西川、P85 - P86。
^ Louda & Maclagan、P92。
参考文献
Ji?i Louda, Michael Maclagan, Lines of Succession, Little,Brown & Company, 1981.
D.W.ローマックス著、林邦夫訳『レコンキスタ 中世スペインの国土回復運動』刀水書房、1996年。
芝修身『真説レコンキスタ <イスラームVSキリスト教>史観をこえて』書肆心水、2007年。
関哲行・立石博高・中塚次郎『世界歴史大系 スペイン史 1 -古代?中世-』山川出版社、2008年。
西川和子『スペイン レコンキスタ時代の王たち 中世800年の国盗り物語』彩流社、2016年。
関連項目
コインブラ伯領
ブラガ
レオン大聖堂 (スペイン)
表
話
編
歴
カスティーリャ国王(1037年 - 1065年)
ヒメノ朝
フェルナンド1世1037-1065 / サンチョ2世1065-1072 / アルフォンソ6世1072-1109 / ウラカ1109-1126
ボルゴーニャ朝
アルフォンソ7世1126-1157 / サンチョ3世1157-1158 / アルフォンソ8世1158-1214 / エンリケ1世1214-1217 / ベレンゲラ1217 / フェルナンド3世1217-1252 / アルフォンソ10世1252-1284 / サンチョ4世1284-1295 / フェルナンド4世1295-1312 / アルフォンソ11世1312-1350 / ペドロ1世1350-1369
トラスタマラ朝
エンリケ2世1369-1379 / フアン1世1379-1390 / エンリケ3世1390-1406 / フアン2世1406-1454 / エンリケ4世1454-1474 / イサベル1世1474-1504 / フェルナンド5世(共同王)1475-1504 / フアナ1504-1555
アブスブルゴ朝
フェリペ1世(共同王)1506 / カルロス1世1516-1556 / フェリペ2世1556-1598 / フェリペ3世1598-1621 / フェリペ4世1621-1665 / カルロス2世1665-1700
ボルボン朝
フェリペ5世1700-1715
※1715年、スペイン王位へ統合
カテゴリ
ガルシア1世910-914 / オルドーニョ2世914-924 / フルエーラ2世924-925 / アルフォンソ・フロイラス925-926 / アルフォンソ4世925-931 / ラミロ2世931-950 / オルドーニョ3世951-956 / サンチョ1世956-958 / オルドーニョ4世958-960 / サンチョ1世960-966 / ラミロ3世966-984 / ベルムード2世984-999 / アルフォンソ5世999-1028 / ベルムード3世1028-1037