フェルナンド1世_(カスティーリャ王)
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

また、助けてもらったとはいえ兄とは衝突が絶えず、1054年のアタプエルカの戦いで両軍は決戦になり、ナバラ軍に勝利して兄を敗死させたフェルナンド1世はカスティーリャを優位に立たせた[1]

それからはレコンキスタを進めたが、領土を征服しても入植する人数が足りないため、征服より小さく分裂したイスラム教諸国(タイファ)を臣従させ、パリア(貢納金)を取って保護する方を重視した。また、カスティーリャとレオンの結びつきが弱いため、外に目を向けて国内の統合を図る意図も含まれていた。

この方針で1055年から遠征を始め、イベリア半島南西部にあるバダホス王国を攻撃、ドゥエロ川沿岸の町ラメゴ(1057年)とヴィゼウ1058年)を奪い取りバダホスの臣従・パリア支払いも取り付けた。また、トレド王国1043年頃にパリア支払いを義務付けられていたが、滞納していたため周辺都市を侵略、1062年に改めて納付させた。サラゴサ王国セビリア王国にも同様にパリアと臣従で屈服させ、1063年には異母兄のアラゴン王ラミロ1世の攻撃を受けたサラゴサの救援に長男サンチョ(後のサンチョ2世)とエル・シッドを派遣、ラミロ1世を戦死させた。同年、セビリアから聖イシドロの遺骸をレオンに持ち帰らせている[2]

宗教政策にも取り組み、クリュニー修道院クリュニー会)から修道士派遣を要請、領土の司教区を整備させキリスト教の浸透を図り、クリュニー修道院へ多額の献金を送った。王室とクリュニー修道院のこの関係は次の世代にも受け継がれていくことになる[3]

1064年コインブラを包囲・陥落させ臣従と並行してレコンキスタも前進させた。翌1065年にバレンシアへの遠征途中に病気にかかり、レオンへ戻り間もなく没した[4]。死後、遺言によって遺領は分割され、カスティーリャを長男サンチョ2世が、レオンを次男アルフォンソ6世が、ガリシアを三男ガルシア2世が、トーロサモラを娘エルビラとウラカがそれぞれ相続した。
子女

1033年、レオン王アルフォンソ5世の娘サンチャと結婚し[5]、以下の子女をもうけた。

ウラカ(1033年/1034年 - 1101年) - サモラを相続

エルビラ(1038年/1039年 - 1101年) - トーロを相続

サンチョ2世(1040年 - 1072年) - カスティーリャ王(1065年 - 1072年)

アルフォンソ6世(1040年/1041年 - 1109年) - レオン王(1065年 - 1109年)、カスティーリャ王(1072年 - 1109年)

ガルシア2世(英語版)(1042年頃 - 1090年) - ガリシア王(1065年 - 1071年)

脚注[脚注の使い方]^ ローマックス、P73 - P74、芝、P72、関、P146、西川、P81 - P84。
^ ローマックス、P74、P80、芝、P74 - P76、関、P149 - P150、西川、P85。
^ ローマックス、P78、芝、P80 - P81。
^ ローマックス、P74 - P76、芝、P76 - P77、関、P150、西川、P85 - P86。
^ Louda & Maclagan、P92。

参考文献

Ji?i Louda, Michael Maclagan, Lines of Succession, Little,Brown & Company, 1981.

D.W.ローマックス著、林邦夫
訳『レコンキスタ 中世スペインの国土回復運動』刀水書房、1996年。

芝修身『真説レコンキスタ <イスラームVSキリスト教>史観をこえて』書肆心水、2007年。

関哲行立石博高・中塚次郎『世界歴史大系 スペイン史 1 -古代?中世-』山川出版社、2008年。

西川和子『スペイン レコンキスタ時代の王たち 中世800年の国盗り物語』彩流社、2016年。

関連項目

コインブラ伯領

ブラガ

レオン大聖堂 (スペイン)










カスティーリャ国王(1037年 - 1065年)
ヒメノ朝

フェルナンド1世1037-1065 / サンチョ2世1065-1072 / アルフォンソ6世1072-1109 / ウラカ1109-1126
ボルゴーニャ朝

アルフォンソ7世1126-1157 / サンチョ3世1157-1158 / アルフォンソ8世1158-1214 / エンリケ1世1214-1217 / ベレンゲラ1217 / フェルナンド3世1217-1252 / アルフォンソ10世1252-1284 / サンチョ4世1284-1295 / フェルナンド4世1295-1312 / アルフォンソ11世1312-1350 / ペドロ1世1350-1369
トラスタマラ朝

エンリケ2世1369-1379 / フアン1世1379-1390 / エンリケ3世1390-1406 / フアン2世1406-1454 / エンリケ4世1454-1474 / イサベル1世1474-1504 / フェルナンド5世(共同王)1475-1504 / フアナ1504-1555
アブスブルゴ朝

フェリペ1世(共同王)1506 / カルロス1世1516-1556 / フェリペ2世1556-1598 / フェリペ3世1598-1621 / フェリペ4世1621-1665 / カルロス2世1665-1700


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:26 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef