フェルディナント・シェルナー
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1945年4月5日に陸軍元帥に昇進、同4月30日には自殺したヒトラーの遺言によって陸軍総司令官に任命された[3]。シェルナーはヒトラーから元帥杖を授与された最後の人物であった[3]
戦後ブレスラウでソ連軍との降伏協議に臨むドイツ軍将校(1945年5月6日)

1945年5月5日、シェルナーは傘下の兵士の帰還を約束していたが、5月8日シェルナーは私服に着替えて民間人に変装し、配下の兵士を置き去りにして、シュトルヒ偵察機オーストリアに逃亡し、山小屋に数日間身を潜め、アメリカ軍に投降した[4]。これについてシェルナーは、軍を離れたのは全面降伏によって指揮権を喪失した5月9日朝のことで、フレンスブルク政府からは5月12日まで降伏を延期でき、その時までに傘下の兵士を帰還させれば良いと思っていた[4]。オーストリアに向かったのはアルプス国家要塞で指揮を執るつもりだったと主張していた[4]。戦後、シェルナーは戦犯として逮捕、訴追され労働刑50年を宣告されるが、後に12年に減刑され、最終的に1955年に西ドイツへの帰国を許された。

当時西ドイツは再軍備を目前にしており、かつてナチスを信奉した旧ドイツ国防軍幹部に対する風当たりが強くなっていた。ドイツ連邦議会は1955年に法改正して、シェルナーらナチスに近い旧軍人に対する恩給を停止したが、この法律は「シェルナー法」と呼ばれた。シェルナーは西ドイツでも逃亡兵を非合法に処刑した、また敗戦後に敵前逃亡したとして懲役刑を受け、1963年に釈放された。当時の大統領ハインリヒ・リュプケによる恩赦により、恩給の一部が回復された。

シェルナーが1945年に出した、書面による命令を保持せずに前線から離脱した兵士は全て裁判なしに即決で処刑されるとの命令を出したこと、それにも関わらず自らは敵前逃亡したこと、陸軍における熱烈なナチズム信奉者として知られていたことから、現在でもその評価は分かれている。

1973年にミュンヘンにて死去。ミッテンヴァルトの墓地に葬られた。
参考文献

Peter Steinkamp: Generalfeldmarschall Ferdinand Schorner, in: Gerd R. Ueberschar (Hg.): Hitlers militarische Elite. Bd. 2: Vom Kriegsbeginn bis zum Weltkriegsende, Darmstadt: Wiss. Buchgesellschaft 1998, S. 236?244

イアン・カーショー著 著、宮下嶺夫 訳『ナチ・ドイツの終焉 1944-45』白水社、2021年。 

脚注^ a b カーショー(2021年)、277頁
^ カーショー(2021年)、92頁
^ a b カーショー(2021年)、404頁。
^ a b c カーショー(2021年)、492頁。

外部リンク

Lexikon der Wehrmacht

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先代
アドルフ・ヒトラー ドイツ陸軍総司令官
1945年次代
解体
先代
ゲオルク=ハンス・ラインハルト 中央軍集団司令官
1945年次代
解体
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