フェリペ1世_(カスティーリャ王)
[Wikipedia|▼Menu]
第一次イタリア戦争における対仏同盟について、マクシミリアンはアラゴン王フェルナンド2世(カスティーリャ王としてはフェルナンド5世)から熱心な勧誘を受ける[13]。マルグリットのフランス王との婚約が、1493年にサンリスの和約(英語版)によって破棄されていた経緯もあり、スペイン[注釈 2]のフェルナンド王側から熱心に二重結婚の働きかけがあった[14]。マクシミリアンはたった二人の子供を、二人ともスペインに縁づかせることに躊躇していたが、1495年10月にシャルル8世がミラノに侵攻すると、翌11月に二重結婚の約が成立した[15]

1496年春、ゼーラントに到着したフアナ一行をフィリップは出迎えることが無く、新婦を落胆させた[16]。しかし婚礼の前日に対面した二人は互いに惹かれ合い、対面に立ち会ったスペイン人司祭に命じて、正式な婚礼に先立ち、その場で簡素な結婚の儀式を行った[17]

フィリップは父マクシミリアンと異なり、暗愚で凡庸な君主に過ぎなかったが、容姿端麗であった[18]。フアナが夫を熱愛し愛慕を募らせる一方、やがてフィリップは妃の激しい気性に愛想を尽かすようになった[19]。そしてフアナは宮廷の女性たちに激しい嫉妬心を抱く一方、フィリップは好色家でもあった[19]。フィリップが寵愛したとされる女官に対してフアナが激高し、女官の髪を丸刈りにした事件も起きた[19]。フアナの精神状態に起因した奇行により、ブルゴーニュ宮廷におけるフアナ及びスペイン人の評判は悪くなり、これとともにフィリップと義父フェルナンドの関係も悪化した[19]。それでも夫妻の間には2男4女が生まれ、全員が成人した。
スペインへ
スペイン王家の継承問題

カトリック両王1男4女のうち、唯一の男子アストゥリアス公フアンは、フィリップの妹マルグリット(西:マルガリータ、独:マルガレーテ)と婚姻してほどなく1497年10月に病死し、マルグリットはフアンの子を死産した後、スペインを去ることとなった。

姉妹の長女イサベルはポルトガル王マヌエル1世妃となり1498年3月にミゲルを出産後、産褥死した。三女マリアはマヌエル1世の後妻となり7男3女を産み、四女カタリナイングランド王家に嫁ぐ[注釈 3]こととなっていた。

イサベルの子、ミゲルも1500年7月に夭折したため、スペインの王位継承権はフアナに移った。フアナの精神状態は1503年に次男フェルディナントを出産した頃から顕著に悪化した[20]
義母イサベル女王の崩御、義父との対立

このような中1504年11月、イサベル1世女王が崩御する[注釈 4]。イサベルは「娘フアナとその夫フェリペをカスティーリャの後継者とする」と明確に遺言した[18]。しかし女王はフィリップの統治能力の低さを見抜き、さらに「フアナの精神状態が正常であり、統治能力がある場合に限る」と但し書きをつけた[18][21][22]。そしてフアナに統治能力が無い場合は「孫のカルロス(独:カール、仏:シャルル)が丁年に達するまでは祖父が後見する」こととされた[20]。すなわち、フアナに統治能力がなければ、フィリップ(西:フェリペ)の共同統治権自体も存在しない[20]

こうして、フィリップと義父フェルナンドの対立は激化した。フェルナンド5世側は、娘の精神異常の兆候をつかもうとブルゴーニュ宮廷に密偵を派遣し、フィリップ側も「私は完全に正常であり、夫を深く愛している」旨の手紙を偽造してスペインに送りつけた[20]。フィリップはフアナを周囲から完全に隔離し、特にスペイン人は誰であっても警戒した[20]。激しい対立の応酬の中、フィリップはカスティーリャに渡り、現地貴族を臣従させて統治権を確保したい意向であり[23]、フェルナンドと対決してでもフアナの実権を手に入れる野心があった[24]。フィリップは、フアナを脅迫したり、あるいは愛情を装って懐柔しようとしたが、フアナはこれを退けた[25]

ここでフランス王ルイ12世は、(イサベル女王崩御に先立つ)1504年9月にブロワ条約で娘クロード王女とフィリップの長男カルロスの婚約を快諾し、フィリップを懐柔しようとしていた[23]。この裏では、フェルナンド5世とルイ12世が極秘裏にフィリップ包囲の交渉を進めていた[26]。またフェルナンドは新たな男子を儲けようとルイ12世の姪ジェルメーヌ・ド・フォワと再婚する。この再婚は、カスティーリャの貴族達の強い反発を受けることとなった[27]
スペイン上陸1506年、義父フェルナンドとの対面

ブロワ条約によりフランス経由の陸路を封鎖されており、1506年1月7日、フアナとフィリップ一行はフリシンゲン港より海路で出発する。しかし、悪天候によりイングランドはドーセットのメルコム・レギス(英語版)に漂着する[28]。1月31日、フィリップ一行はウィンザー城に到着し、イングランド王ヘンリー7世の歓待を受ける[29]

期せずしてフィリップとヘンリー7世は会談の機会を得、政治・軍事での協力関係を取り付けた他、フィリップの妹マルグリットとヘンリー王子(のちのヘンリー8世)、フィリップとフアナの長男カール(カルロス)とメアリー王女の婚約が決定された[30]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:84 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef