フェミニズム
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政治制度、文化慣習、社会動向などのもとに生じる性別による格差や性差別に影響されず、男女が平等権利を行使できる社会の実現を目的とする思想または運動である[2][3]男女同権主義に基づく、女権拡張主義、女性尊重主義ともいう[1][4]

第二波以降のフェミニズムは大きく分類すると、最長歴史かつ「フェミニズム」の原型ともなったリベラル・フェミニズム(自由主義フェミニズム)、それを批判して女性差別の原因を資本主義社会だとするマルクス主義フェミニズム、原因を資本主義や諸制度ではなく、身体性差で男性自体が抑圧者と批判したラディカル・フェミニズム(急進的フェミニズム)の3大潮流に分類される[5][6][7][8]。これら3大潮流以外にも多様なフェミニズムが展開しており[5]、社会学者の上野千鶴子は「フェミニストが一枚岩でいるよりも、多様性があるほうがずっといい」と述べている[9]

フェミニズムの対置概念はマスキュリズム(男性解放運動、メンズリブ)。フェミニズムの推進者や同調者は「フェミニスト」という[10]
概要

著作家のクリスティーヌ・ド・ピザンのように、個人としての活動は中世から存在したが、思想体系・社会運動としてのフェミニズムは、18世紀の欧州において封建的・絶対主義的国家体制の解体と近代社会の実現を目指す市民革命の一環として起こった[11]。1789年のフランス革命が広く女性の権利運動の始まりとしてみなされた。
フェミニズムの登場(リベラルフェミニズム)

まず第一波フェミニズム(他のフェミニズムの登場以降にリベラルフェミニズムと呼ばれる)として、19世紀から20世紀前半までの中産階級の女性の精神的自立と経済的自立、教育・職業の機会均等、女性参政権運動を中心とする法的男女平等を求めるから始まったされる[4][12][13]。19世紀の運動や文化に大きく影響を与え、19世紀後半から20世紀、特に第一次世界大戦の間に、多くの国で女性参政権が認められた。ニュージーランドでは、婦人参政権論者ケイト・シェパードの助けによって、1893年に最も早く女性参政権が認められている(なお、アメリカで認められたのは1920年、また日本では1945年である)。
リベラルフェミニズムへの批判と第二波以降

その後、1960年代から第二波フェミニズムとして、「文化・社会に深く根を張る意識や習慣による性差別と闘い、主に性別役割分業の廃絶、性と生殖における自己決定権など」を主張した運動が展開された[1]。1970年時点の欧米では、妻は就業に夫の許可が必要と法的に定められており、離婚を困難にしている現行の離婚法、中絶の合法化など[14]を含めた社会習慣・意識に根ざす性差別との闘いを中心としていた。その中で歴史的・文化的構築物であるジェンダーの概念を中心に様々な潮流を生み、さらに、異なる文化的・社会的立場から批判、再解釈、再構築されている。より詳細には様々な思想的立場があり、従来の法的平等を求めるリベラル・フェミニズムがある。それを甘いと批判し、女性差別の背景を資本主義社会だとするマルクス主義フェミニズムが登場した。二大潮流であったが、更には3つ目として、女性の抑圧の根源を女性の「身体」と「性」を男性支配が支配していること、男性という存在自体に起因するものとみなすラディカル・フェミニズムがある。これら3つがフェミニズムの主流な潮流となっている[5][6][7]。3大潮流以外にもエコロジーにも目を置いたエコロジカル・フェミニズムなど多様な少数の潮流がある。また、「フェミニズム」が人種的多数派の女性中心主義・中産階級エリート主義で一部のエリート女性が男性と対等になっていたことを反省点として踏まえる者は、人種階級年齢国籍宗教性的指向などの文化的・社会的要素を考慮する[13][15]
ソ連崩壊・冷戦終結以降

冷戦終結により、女性差別の原因を「資本主義」とするマルクス主義フェミニズム[5]は急激に衰退したため、フェミニスト間同士の対立の中ではラディカルフェミニストとリベラル・フェミニストによるモノが主流となっている。ラディカルフェミニストの小倉千加子は、近代の枠組みを認める「保守」とリベラル・フェミニズムを例え、近代の枠組みを認めない「破壊」とラディカル・フェミニズムを例えており、2002年の著書でリベラルフェミニズムは衰退し、ラディカルフェミニズムが勝ったと述べている[16]。一方で、リベラル・フェミニストは、男性を敵視するラディカルフェミニストの過激な言動が、女性の多数派を占めるノンポリ女性が「フェミニズム」への忌避を起こす原因となっていると批判している[17]

2000年代に入ってからは、インターネットSNS上でのフェミニズム運動も普及し始めている[18]。その具体例として、#MeTooTime's Up#KuTooなどの運動が展開されてきた。一方で、フェミニストになりすまして炎上を誘発する行為が横行していると指摘されている[19]。なりすましの具体例としては青識亜論#フェミニストなりすましアカウントの運用が知られている。
歴史
4つの波1912年、アメリカ合衆国で女性参政権を求める運動

現代の西洋のフェミニスト運動は、4つの波(wave)に分けられる[20][21][22]

第1の波は、19世紀から20世紀初頭の女性参政権運動であり、女性の投票権を促進した。第2の波である女性解放運動(ウーマン・リブ運動)は、1960年代に始まり、女性の法的な平等と社会的な平等を求めるキャンペーンが行われた。1992年頃には、個性と多様性に焦点を当てることを特徴とする第3の波が見られた[23]。さらに、2012年頃から第4の波[24]が始まったと考える人もいる[24]。第四波フェミニズムは、ソーシャルメディアを利用してセクシャルハラスメント女性に対する暴力、レイプ文化(英語版)などと戦うもので、最も有名なのがMe Too運動である[25]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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