フィンランド
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16世紀の宗教改革でスウェーデンのグスタフ1世ルター派を受け入れたため、フィンランドもルター派が広まることになった。カトリックの承認を得ずに司教となったアグリコラ聖書翻訳を進めたことで、フィンランドは新教国としての性格を決定的にした。1662年のフィンランド

1581年にはフィンランドの独立が模索された結果、ヨハン3世が「フィンランドおよびカレリア大公」(のちにフィンランド大公となった)"となり、スウェーデン王国が宗主国となる形でフィンランド公国建国が宣言された。しかしこれは、フィンランドに植民したスウェーデン人が中心で長くは続かなかった。この時代のフィンランドはスウェーデン=フィンランドと呼称されており、スウェーデンによる大国時代を形成していた。

1700年から始まった大北方戦争の結果の1721年ニスタット条約で、フィンランドの一部(カレリア)がロシア帝国に割譲された。ナポレオン戦争の最中にスウェーデンが敗北すると、1809年アレクサンドル1世フィンランド大公国を建国し、フィンランド大公を兼任することになった。その後、スウェーデンは戦勝国となったが、フィンランドはスウェーデンに戻らず、ロシアに留め置かれた。

19世紀のナショナリズムの高まりはフィンランドにも波及し、『カレワラ』の編纂など独自の歴史研究がなされた。その一方でロシア帝国によるロシア語の強制などでフィンランド人の不満は高まった。

1899年ニコライ2世が署名した二月詔書には、高揚するロシア・ナショナリズムに配慮してフィンランドの自治権廃止宣言(フィンランド語版、英語版)が含まれていることがフィンランド人に発覚したため、フィンランドで暴動が発生している。1904年6月17日にはフィンランド民族主義者オイゲン・シャウマン(フィンランド語版、英語版)によるロシア総督ニコライ・ボブリコフ暗殺の惨事に至り、ついに1905年には「自治権廃止」は撤回された。1917年のフィンランド上元老院。最初の議長であるペール・スヴィンヒュー(写真中央)が首相の座に就いた。

第一次世界大戦末期の1917年にはロシア革命の混乱に乗じてフィンランド領邦議会は独立を宣言した[8]1918年共産化し、オットー・クーシネンらを首班としたフィンランド社会主義労働者共和国が成立した。その後、敗戦国となったドイツ軍など外国の介入もあり、フィンランド南部で優勢だった赤軍は白軍のマンネルヘイムにより鎮圧され、1919年には憲法を構成するフィンランド政体法が制定された(フィンランド内戦)。

独立後のフィンランドの政情や国際情勢は不安定で、1921年にスウェーデンとオーランド諸島の領土問題で争ったが、国際連盟の事務次官であった新渡戸稲造による「新渡戸裁定」で解決をみた。1932年にはソビエト連邦との間に不可侵条約を締結したが、1939年にソビエト連邦は同条約の破棄を通告[9]。その直後から1940年の間、侵攻するソビエト連邦との間で冬戦争が行われ、国土(38万2,801km2)の10分の1を失った[10]。喪失した地域はおもに人口と産業密度の高い南東部で、ヴィープリ州には最も要となる港湾があった。ペツァモ州にはニッケル鉱床と国内唯一の不凍港北極海への出入り口があった。これらが失われたうえ、サイマー運河も両断された。カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム(フィンランドの将官大統領

第二次世界大戦継続戦争)ではソ連と対抗するためにナチス・ドイツイタリア王国などの枢軸国側について戦い、一時は冬戦争前の領土を回復した。その後、ソ連軍の反攻によって押し戻され、1944年にソ連と休戦し、休戦の条件として国内駐留ドイツ軍を駆逐するために戦った(ラップランド戦争)。日本や独伊と同様に敗戦国になったものの、フィンランド軍はソ連軍に大損害を与えて進撃を遅らせ、ナチス・ドイツ降伏前に休戦へ漕ぎ着けた。このため、バルト三国のようにソ連へ併合されたり、ソ連に占領された東ヨーロッパ諸国(東側諸国)のように完全な衛星国化や社会主義化をされたりすることなく、冷戦終結による東欧革命も経た現在に至っている。

戦後はソ連の影響下に置かれ、ソ連の意向により西側陣営のアメリカによるマーシャル・プランを受けられず、北大西洋条約機構(NATO)にも欧州諸共同体(EC)にも加盟しなかった。自由民主政体を維持し資本主義経済圏に属するかたわら、外交・国防の面では共産圏に近かったが、ワルシャワ条約機構には加盟しなかった(ノルディックバランスフィンランド化)。この微妙な舵取りのもと、現在に至るまで独立と平和を維持した。ソビエト連邦の崩壊後には西側陣営に接近し、1994年には欧州連合(EU)加盟に合意。2000年には欧州共通通貨ユーロを北欧諸国の中で初めて自国通貨として導入した。

2010年代にクリミア・東部ウクライナ紛争などでロシアの脅威が高まったため、西側への接近を加速している。2017年にはスウェーデンとともにイギリス主導でNATOや国際連合に協力する合同派遣軍への参加を決めた[11]。2021年12月にロシアが米国とNATOに対してNATO拡大を阻止する条約の提案を行ったため、フィンランド(およびスウェーデン)ではNATOに加入できなくなる懸念が高まった[12]サウリ・ニーニスト大統領は2022年1月1日の演説で、NATOへの加盟申請を含む「選択の自由がある」と語った[13]。ロシアのウクライナ侵攻を受け、2022年5月には数十年に及ぶ軍事的中立方針を転換し、スウェーデンと共にNATOへの加盟申請を行った。当初トルコがクルド人問題を理由に難色を示したものの、2023年3月30日までにはトルコ含む全加盟国がフィンランドの加盟を承認[14]、4月4日、NATOに正式加盟をした[5][15][16][17]。スウェーデンよりも一足先に加盟したため、ニーニスト大統領は、「スウェーデンも早期に加盟しないと解決にはならない」と隣国スウェーデンのNATO加盟を改めて訴えた[18]
政治フィンランド国会議事堂の階段詳細は「フィンランドの政治」を参照


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