18世紀には、ヘンリック・ガブリエル・ポルトハン
(英語版)[12]『フィンランドの詩』[13](De poesi fennica、1766-78年)や、クリスティアン・エリク・レンクヴィスト(フィンランド語版)『古代フィンランド人の理論的および実践的な迷信について』(De superstitione veterum Fennorum theoretica et practica、1782年)[14]、クリストフリッド・ガナンデル(英語版)[15]『フィンランド神話学(英語版)』[16](Mythologia fennica、1789年)が編まれた。ガナンデルの『フィンランド神話学』は、フィンランド神話の基本的著作とされる[14]。19世紀には、カルル・アクセル・ゴットルンド(英語版)[17]『フィンランド少年娯楽用小民詩集』[18](Pienia runoja Suomen poijille ratoxi、1813年・1821年)や、老ザカリアス・トペリウス(フィンランド語版)[19][注 6]『フィンランド民族の古代民詩と新歌謡』[20](Suomen kansan vanhoja runoja ynna myos nykyisempia lauluja、1822年・1831年)が編まれた。トぺリウスの著作はリョンロートに影響を与えており[21]、また『カレワラ』(古カレワラ)のカレワ(英語版)に関する部分などはトペリウスを参照しているという[22]。 そして19世紀中頃に、エリアス・リョンロートが『カレワラ』を編纂した。口承を収集し、1833年に『ワイナミョイネンの民詩集』[23](Runokokous Vainamoisesta)、いわゆる「原カレワラ」(Alku-Kalevala)としてまとめ(ただしこれは未発表だった)、1835年にこれに追加の採集資料を加え補修改訂を行った『カレワラ・フィンランド民族太古よりの古代カレリア民詩』[24](Kalevala taikka vanhoja Karjalan runoja Suomen kansan muinosista ajoista)、いわゆる「古カレワラ」(Vanka Kalevala)を発表した。そして1849年にこれを増補改訂した『カレワラ』[25](Kalevala)、いわゆる「新カレワラ」(Unsi Kalevala)を発表した。
『カレワラ』