フィンゴン
[Wikipedia|▼Menu]
ドル=ローミンの領主

フィンゴルフィンはヒスルムの西のドル=ローミンを領地としてフィンゴンに与え、かれはここを良く守った。ダゴール・アグラレブから100年弱過ぎたころ、ドレンギストの入り江からヒスルムを攻めようとしたオークの一団を撃退した。そのまた100年後の太陽の時代の265年には、アングバンドから始めて姿をあらわし、アルド=ガレンを荒らしまわったのグラウルングを弓の一団を率いて退けた。
上級王フィンゴン

太陽の時代の455年に、フィンゴルフィンがダゴール・ブラゴルラハでモルゴスと戦って死ぬと、フィンゴンはベレリアンドのノルドールの上級王になった。その7年後、モルゴス軍は圧倒的な軍勢でヒスルムを攻め、フィンゴンは危機に陥ったが、ファラスからドレンギストの入り江まで船でやって来たキーアダンとその民に救われた。
ニアナイス・アルノイディアド

ナルゴスロンドの王オロドレスと、ドリアスの王シンゴルはマイズロスの連合への協力を拒んだため、ナルゴスロンドの民ではグウィンドールとわずかの者だけが、ドリアスの民ではマブルングとベレグだけが連合に参加した。かれらはフィンゴンのもとで戦った。フィンゴンとマイズロスには長い友情があったからである。ニアナイス・アルノイディアドでマイズロスの連合は勝利を手に入れかけたが、東夷の裏切りのために敗れた。フィンゴンはバルログの長ゴスモグと闘ったが、背後からも別のバルログに襲われ、殺された。かれの死体は大いに傷つけられた。

次のノルドールの上級王はトゥアゴンだった。かれはゴンドリンに隠れた。
異伝

出版されたシルマリルの物語では、フィンゴンはギル=ガラドの父とされているが、これは他の文章に反映されない短命なアイディアであり、編集上の間違いであったと、編者のクリストファ・トールキンは述べている。他のところでは、「フィンゴンには妻も子もいなかった」とされている。中つ国の正典を参照。
^ アルダの年表によれば、かれの父フィンゴルフィンの誕生がヴァラ年の4690年で、かれの妹アレゼルの誕生が4862年。
^ J. R. R. Tolkien (1987). in Christopher Tolkien (ed.): The Lost Road and Other Writings. Boston: Houghton Mifflin, "The Etymologies".
^ アルゴンは、『中つ国の歴史』として出版された、トールキンの極めて後期の文献のみに現れ、『シルマリルの物語』には現れない。

フィンゴルフィンの系図

 フィンウェ インディス       
  
                  
          
フィンゴルフィン アナイレ フィナルフィン    
  
                          
                        
フィンゴン トゥアゴン エレンウェ アレゼル エオル アルゴン
    
                   

      イドリル     マイグリン


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:12 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef