フィンゴルフィンはヒスルム
の西のドル=ローミンを領地としてフィンゴンに与え、かれはここを良く守った。ダゴール・アグラレブから100年弱過ぎたころ、ドレンギストの入り江からヒスルムを攻めようとしたオークの一団を撃退した。そのまた100年後の太陽の時代の265年には、アングバンドから始めて姿をあらわし、アルド=ガレンを荒らしまわった竜のグラウルングを弓の一団を率いて退けた。太陽の時代の455年に、フィンゴルフィンがダゴール・ブラゴルラハ
でモルゴスと戦って死ぬと、フィンゴンはベレリアンドのノルドールの上級王になった。その7年後、モルゴス軍は圧倒的な軍勢でヒスルムを攻め、フィンゴンは危機に陥ったが、ファラスからドレンギストの入り江まで船でやって来たキーアダンとその民に救われた。次のノルドールの上級王はトゥアゴンだった。かれはゴンドリンに隠れた。 出版されたシルマリルの物語では、フィンゴンはギル=ガラドの父とされているが、これは他の文章に反映されない短命なアイディアであり、編集上の間違いであったと、編者のクリストファ・トールキンは述べている。他のところでは、「フィンゴンには妻も子もいなかった」とされている。中つ国の正典を参照。
異伝
註^ アルダの年表によれば、かれの父フィンゴルフィンの誕生がヴァラ年の4690年で、かれの妹アレゼルの誕生が4862年。
^ J. R. R. Tolkien (1987). in Christopher Tolkien (ed.): The Lost Road and Other Writings. Boston: Houghton Mifflin, "The Etymologies".
^ アルゴンは、『中つ国の歴史』として出版された、トールキンの極めて後期の文献のみに現れ、『シルマリルの物語』には現れない。
フィンゴルフィンの系図 トゥアゴン エレンウェ アレゼル
イドリル マイグリン