反面、ドラッグ・アルコールへの依存症や派手な女性関係など、悪い意味で1970年代の典型的なロック・ミュージシャンでもあった。シン・リジィの度重なるメンバー交代も、他のメンバーがそのようなライフスタイルについていけないことから起こることがしばしばあったという。しかしそうして去ったメンバーたちも、人間としてのフィルを嫌うことはあまりなく、むしろ慕い続けていた。それぞれのインタビューや、シン・リジィの解散最終公演(ライブ盤『ラスト・ライヴ』として聴くことができる)に歴代のギタリストが全員集合してステージに上がった事実からもこれは明らかである。
ソング・ライティングの部分では歌詞のテーマとメロディセンスに長けており、シン・リジィでのカウボーイ・ソングやヒーローをイメージした曲などはジョン・ボン・ジョヴィに多大なる影響を与えている。
トリヴィア
マンチェスター・ユナイテッドの狂信的なサポーター。シン・リジィの叙事詩とも言える曲「ブラック・ローズ」には、ジェイムズ・ジョイス、ウィリアム・バトラー・イェイツ、オスカー・ワイルドと並び、ユナイテッドの大スターであり「アイルランドの同胞」でもあるジョージ・ベストの名が登場している。
1973年、ディープ・パープルのリッチー・ブラックモア主導で、フリーのポール・ロジャースとフィルによるグループ結成の話があった。しかしポールはこの話も、ディープ・パープル加入の誘いも断って自らのバンドバッド・カンパニーを結成する。そして、ライノットもシン・リジィの活動に専念するため断っている。
コカインの依存症でもあったが、鼻からの吸引が過度であったために鼻の軟骨が崩れ、シリコンプロテーゼを入れる形成手術を受けていた。独特の鼻にかかった甘い歌声はドラッグの副産物だった。
1983年に2度目の英国&欧州ツアーを敢行していた日本のハードロック・バンドBOWWOWのギタリスト、山本恭司のプレイに惚れ込みツアー最中に本人を自宅に招いて夕食をご馳走したことがある。その際、ライノットの次回ソロ・アルバムにおいて「是非、キョウジに参加してもらいたい」と正式に要請するもその後、フィルの体調の悪化につき実現せず。しかしその際の人脈が後日、英国移住後の山本が参加することになる映画サントラ『フェノメナII (Dream Runner)』(1987年)に発展する。
ディスコグラフィ
ソロ・アルバム
『ソロ・イン・ソーホー』 - Solo in Soho (1981年) ※旧邦題『ソーホー街にて』
『ザ・フィリップ・ライノット・アルバム』 - The Philip Lynott Album (1982年)
Live in Sweden 1983 (2001年) ※ライブ
The Lost Recording 1970 (2006年) ※EP
Yellow Pearl (2010年) ※コンピレーション
シン・リジィ詳細は「シン・リジィ#ディスコグラフィ」を参照
グランド・スラム
スタジオ音源集
Grand Slam: Studio Sessions(2002年)
Hit the Ground(2019年)
ライブ・アルバム
Grand Slam: Live 1984(2003年)
Twilight's Last Gleaming (2003年)
Glasgow Kiss(2008年)
コンピレーション
The Grand Slam Years(2007年)
Disc 1: Phil Lynott Live In Sweden 1983
Disc 2: Live in Ireland 1984
Disc 3: Studio Sessions
The Collection(2009年)
Disc 1: Phil Lynott Live in Sweden 1983
Disc 2: Live in Ireland 1984 - Galway / Castlebar / Lifford
Disc 3: Studio Sessions
Disc 4: Live at the Nostell Priory Festival, Wakefield, 27 August 1984
Slam Anthems(2023年)[8]
Disc 1: 2022 Remixes
Disc 2: Orebro 1983 (Live)
Disc 3: Lifford 1984 (Live)
Disc 4: London 1984 (Live)
Disc 5: Great Yarmouth 1984 (Live)
Disc 6: Demos
ファンキー・ジャンクション
Play a Tribute to Deep Purple(1973年) - シン・リジィ(フィル・ライノット、ブライアン・ダウニー、エリック・ベル)が、抱えていた借金返済のためにアイルランドのバンド・エルマー・ファッドのベニー・ホワイト、デイヴ・'モジョ'・レノックスとレコーディングしたディープ・パープルのカバー企画アルバム。ライノットはリード・ボーカルではなく、ベースとバック・ボーカルを担当している[9][10]。
脚注^ フィル・ライノット - Find a Grave(英語)
^ ⇒Phil Lynott Statue Unvailed: Photos Available - Blabbermouth.net - 2014年2月25日閲覧
^ ⇒Gary Moore 'Parisienne Walkways' - soundonsound.com - 2014年2月25日閲覧
^ The Greedies 。Biography 。AllMusic
^ ⇒Philip Lynott* - Yellow Pearl The Theme From Top Of The Pops (Vinyl) at Discogs
^ GARY MOORE 。full Official Chart History 。Official Charts Company
^ CORRS 。full Official Chart History 。Official Charts Company
^ “フィル・ライノットがシン・リジィ解散後に組んだグランド・スラム 全63曲入りボックスセット 全曲公開”. amass.jp. 2023年6月18日閲覧。