フィリピン共和国(フィリピンきょうわこく、フィリピン語/タガログ語: Republika ng Pilipinas、英: Republic of the Philippines、スペイン語: Republica de Filipinas) 通称フィリピンは、東南アジアに位置する立憲共和制国家。7641の島々がある島国であり、そのうち有人島に暮らす総人口は1億人を超える[2]。首都はルソン島にあるマニラ市またはマニラ首都圏[1]。
最大の都市はルソン島では人口が一位で旧首都のケソン市、ビサヤ諸島では大都市のセブ市、ミンダナオ島では面積が大きいダバオ市である。 フィリピン諸島は、フィリピン海を挟んで日本とパラオ、バシー海峡を挟んで台湾、スールー海を挟んでマレーシア、セレベス海を挟んでインドネシア、南シナ海を挟んで中国およびベトナムと向かい。南シナ海のスプラトリー諸島の一部を実効支配しており(パグアサ島など)、全体の領有権や領海・排他的経済水域を巡っては中国、ベトナム、台湾、マレーシアと対立を抱える。 同国は81の州と1の首都地域で構成され、最小行政単位はバランガイ(Barangay)で4万2027にのぼる。 国名のフィリピンは16世紀の旧宗主国のスペイン皇太子フェリペ(後のフェリペ2世国王)の名前から命名された。
概要
国名詳細は「フィリピンの国名(英語版
正式名称は、タガログ語ではRepublika ng Pilipinas(レプーブリカ ナン ピリピーナース)、英語では、Republic of the Philippines(リパブリク オヴ ザ フィリピーンズ)、スペイン語では、Republica de Filipinas (レプブリカ デ フィリピーナス)。略称は、Pilipinas(フィリピン語)、the Philippines(英語)、Filipinas (スペイン語)。
日本語表記による正式名称の訳はフィリピン共和国、通称はフィリピンである。かつてはフイリッピン、ヒリピンという表記もなされていた。漢字による表記は、比律賓[5]、菲律賓で、比島、比、菲と略される。
国名は、1542年に、スペイン帝国皇太子フェリペ(のちの国王フェリペ2世)の名から、スペイン人の征服者ルイ・ロペス・デ・ビリャロボスによってイスラス・フィリピナス諸島(フェリペの島々)[6] と名づけられたことに由来する。現在の国号表記はアルファベット表記はすべて「-s」と複数形表記されており、これはアメリカ植民地当局がかつてこの国をフィリピン諸島(the Philippine Islands)と呼び、これをフィリピン(the Philippines)と変更したものを、1935年憲法に「フィリピン共和国(Republic of the Philippines)」と記載した経緯による。
このような歴史的背景から、植民地時代の残滓だという立場からの国名変更論もある。国民的英雄と見なされる独立運動家アンドレス・ボニファシオは、「タガログ人の国家」を意味する「カタガルガン」を推していた[7]。第10代大統領フェルディナンド・マルコスは、サンスクリット語に由来し「気高く誕生した」を意味するとされる「マハルリカ」に変更しようとした[7][8]。ロドリゴ・ドゥテルテ大統領も「マハルリカ」への変更に対する共感を表明している[8]。
歴史詳細は「フィリピンの歴史」および「バシランの歴史(英語版)」を参照
フィリピンの歴史
この記事はシリーズの一部です。
先史時代(900年以前)
ネグリト渡来
古代(900年 - 1521年)
トンド
マジャ・アス
マニラ
バトゥアン
セブ
マギンダナオ王国
スールー王国
植民地時代(1565年 - 1946年)
スペイン領東インド1565年 - 1898年
フィリピン総督領1565年 - 1898年
フィリピン独立革命1896年 - 1898年
カティプナン1892年 - 1897年
第一共和国1898年 - 1901年
アメリカ軍事政府(英語版)1898年 - 1902年
米比戦争1899年 - 1902年
フィリピン群島政府(英語版)1901年 - 1935年
フィリピン・コモンウェルス1935年 - 1942年
日本占領下1942年 - 1944年
亡命政府(英語版)1942年 - 1943年
フィリピン行政委員会1942年 - 1943年
第二共和国1943年 - 1945年
フィリピン・コモンウェルス1945年 - 1946年
現代(1946年以降)
第三共和国1946年 - 1965年