フィリピン
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

フィリピンの経常収支は1000万人に及ぶ海外在住労働者の送金によって支えられており、出稼ぎ、特に看護師はフィリピンの有力な産業と言ってもよい[25]。主要な貿易相手国はアメリカと日本であるが、近年は距離的にも近い中華人民共和国や中華民国(台湾)、大韓民国との貿易も増えている。

東南アジアではベトナム・インドネシアと共にNEXT11の一角にも数えられており、今後も経済発展が期待できる新興国の一つに数えられている。

また、長年の懸案であった、ミンダナオ島を活動拠点とする南部の武装ムスリム勢力に対しては、MILF(モロ・イスラム解放戦線)との和解交渉が成立するなどの進展が見られた。ミンダナオ島にも、アメリカなどからの直接投資も入り始めている。一方、ISILへの支持を明確化したアブ・サヤフの活動が活発化。2017年5月、フィリピン軍は、ミンダナオ島マラウィ市にてアブ・サヤフと市街戦になった[26]

2018年7月26日、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領はムスリムによる自治政府樹立を認める「バンサモロ基本法」に署名[27]。翌年の住民投票の結果、従来のイスラム教徒ミンダナオ自治地域よりも強い自治権を有するバンサモロ自治地域が発足した。

2020年以降、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大に伴い、海外へ赴く出稼ぎ者やフィリピンに来訪する観光客の出入国が難しくなった。さらに2021年8月から10月にはマニラを中心に感染拡大を防止するためにロックダウンも行われ、国内の経済は大きなダメージを受けた[28][29]。2022年初頭、感染者数が減少傾向を見せたタイミングで入国制限の緩和が行われ、同年3月末の時点で海外からの観光客の予約件数は、2019年の72%のレベルまで回復する傾向を見せた[30]

2022年フィリピン大統領選挙では、ボンボン・マルコスが当選した[31]
政治詳細は「フィリピンの政治(英語版)」を参照ボンボン・マルコス大統領サラ・ドゥテルテ副大統領
元首・行政詳細は「フィリピンの大統領」および「フィリピン政府(英語版)」を参照

大統領を元首とする共和制国家であり、フィリピンの大統領行政府の長である。大統領と副大統領は、同日に別枠で国民の直接選挙により選出される。任期は6年で、フィリピン憲法の規定により、再選は禁止されている。
立法詳細は「フィリピンの国会」および「フィリピンの首相」を参照

議会は、元老院上院)と代議院下院)の両院制(二院制)。上院は、24議席で任期6年。3年ごとに半数改選。下院は、憲法上は250議席以下と規定されているが、現在は214議席。20%を政党別の候補者リストから、残りを小選挙区制で選出され任期は3年である。選挙は、西暦が3で割り切れる年に行われる[注釈 1]アロヨ政権は現在の大統領制から議院内閣制へ、両院制議会から一院制へ移行する憲法改正を提案したが進展は見られなかった。なお、地方自治体の州、市町村の正副首長と地方議会の議員は任期3年である。「フィリピンの政党」も参照
憲法詳細は「フィリピン憲法」を参照

フィリピン初の憲法1899年に公布されたマロロス憲法であり、アジア初の共和制を定めた憲法であった。次は1902年のフィリピン組織法(クーパー法)で選挙による議会が設置された[注釈 2]

1935年アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトの承認と国民の賛成でフィリピン1935年憲法が実施され、フィリピン・コモンウェルスが成立。大統領の権限(行政各部だけでなく地方自治まで管理するなど)が強化された[注釈 3]

1971年6月に憲法制定会議が開催され、全面的な改正に着手した。熱心な討議の末、新憲法草案は1972年11月に入って承認され、1973年1月に実施された。このフィリピン1973年憲法は、大統領制下での議院内閣制が特徴である。しかし、欠点[注釈 4] もあり、1980年と1981年に一部改正された[注釈 5][32]首相職は1986年に廃止された。
国際関係フィリピンの外務省詳細は「フィリピンの国際関係(英語版)」を参照

東南アジア諸国連合(ASEAN)創設以来の加盟国である。
日本との関係詳細は「日本とフィリピンの関係」を参照
アメリカとの関係詳細は「米比関係(英語版)」を参照

アメリカの支配を受けていた経緯から、日本と同じく軍事的、経済的、政治的にアメリカとの関係が深い。米比相互防衛条約を結び、かつては東南アジア条約機構に加盟していた。アメリカが介入した20世紀後半の朝鮮戦争ベトナム戦争、さらには21世紀初頭の対テロ戦争にも参戦。反対世論が多かったイラク戦争(武装勢力によるフィリピン人拉致事件でフィリピン軍はイラクから全面撤退した)に同調した。

一方で、かつてクラーク空軍基地にあった在比米軍の軍人による市民レイプ事件(英語版)では、米兵容疑者に対し、最高裁判所で最高刑となる終身刑を確定し、容疑者の身柄の引渡しにおいて米国と外交問題になった。他にスービック基地でのレイプ事件(英語版)も問題になった。

クラーク空軍基地は、1991年4月に近くのピナトゥボ山が噴火し、火山灰の降灰により基地の大部分が使用不可能となり、アメリカは同基地の放棄を決定した。また、スービック海軍基地アメリカ海軍のアジア最大の国外基地だったため維持を希望したが、フィリピン共和国政府により拒否されたため、両基地とも1991年11月26日にフィリピンへ返還された。

2013年1月7日、米軍無人航空機が漂流されているのが発見され、続いてフィリピン南西部のパラワン島近くの世界遺産に登録されているトゥバタハ岩礁サンゴ礁で、米海軍の掃海艦ガーディアンが座礁し、修復不可能な損傷を与えた。無人機の事故では、主権侵害との批判は一部に留まっていたが、ガーディアンの座礁事故では、環境保護団体や地元政治家、市民にまで非難の声が広がっている[33]

英語教育が進んでいるため、フィリピンは英語圏での出稼ぎに大いに役立っている。

第二次世界大戦において、米軍に協力したフィリピン軍人に対しアメリカ合衆国での労働が許可され、多くのフィリピン人がアメリカ合衆国へ渡ろうとしたものの、1924年アメリカの移民法によって、フィリピンからは年100人がアメリカに渡れるに過ぎなかった。1965年のアメリカの移民法(英語版)によって、国別人数制限が改正されて撤廃されたことにより、多くのフィリピン人がアメリカに入国できるようになった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:254 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef