フィリピン
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

名は旧来のスペイン語の名前に加えて、英語その他、主にヨーロッパ系の名前が自由につけられている[注釈 11]

婚姻の際には、従来の法律では、結婚時に女性側は、自分の姓をミドルネームとして相手の姓を用いるか、相手の姓のみを用いるか、相手のフルネームにMrs.をつけるか、を選ぶことが可能、とされていた。2010年に、最高裁判所は、女性の権利を守る観点から、これらに加えて、相手の姓を用いず自分の姓のみを用い続ける(夫婦別姓)ことも可能、との判断を下した[78]。.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節の加筆が望まれています。

宗教セント・オーガスチン・パオアイ教会「フィリピンの宗教(英語版)」を参照

フィリピンは、バンサモロ自治地域を除けば、東南アジアでは東ティモールと並ぶキリスト教国である。キリスト教は、スペイン植民地時代に広まった。スペインが16世紀に伝えたものは、ローマ・カトリックであった。そのため、今でも人々のほとんどが、ローマ・カトリックの信者である。

キリスト教徒はフィリピンの全人口の90%以上を占める。2000年の国勢調査では、カトリックが82.9%(カトリック教会が80.9%、アグリパヤンが2%)、福音派が2.8%、イグレシア・ニ・クリストが2.3%、その他のキリスト教が4.5%を占める[79]

フィリピン独立教会がある。

2000年の国勢調査でのキリスト教の他の宗教は、スペイン人到来以前にもたらされたイスラム教が南部ミンダナオ島を中心に5%、その他が1.8%、不明が0.6%、無宗教が0.1%である[79]イスラム教やキリスト教伝来以前は、各島の自然の精霊などを信じる原始宗教(フィリピン神話)があった(「フィリピンの神話上の生き物」も参照)。

フィリピン共和国憲法に政教分離の規定は存在するものの、カトリック教会の影響は強く、フィリピン司教協会は離婚法や人工妊娠中絶避妊に対して反対し、政治家に対して政治介入しており、フィリピンで人口爆発貧困が続く一因となっている。また、結婚制度は存在すれど、離婚制度自体が法整備されていない国家として有名である[80][81]。「フィリピンにおける信教の自由(英語版)」も参照
教育聖トマス大学 (フィリピン)、創立1611年「フィリピンの教育(英語版)」を参照

2008年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は95.4%(男性:95%、女性:95.8%)である[79]。2009年の教育支出はGDPの2.9%だった[79]

教育政策として高等教育の重視していることが特徴である。これはスペイン植民地時代から引き継がれている。高等教育の就学率は27.4%(1995年)で、アジアの中でも高い方であり、高等教育機関は、国公立・私立合わせて1489(2003年)もの大学が存在する。その中でも聖トマス大学はアジアでも最古の1611年創設であり、在フィリピンのスペイン人に聖職者教育を施すことを目的とした。1908年に設置されたフィリピン大学は、アメリカ統治時代のもので、英語でアメリカ式の教育を行い、現地調達の行政官や大学教員を育てることが目的であった[82]

この節の加筆が望まれています。

保健「フィリピンの保健(英語版)」を参照
医療「フィリピンの医療(英語版)」を参照

この節の加筆が望まれています。
「フィリピン医師会(英語版)」、「フィリピン保健省(英語版)」、および「フィリピン健康保険株式会社(英語版)」も参照
治安詳細は「フィリピンにおける犯罪(英語版)」を参照

フィリピンの治安は過去と比べると格段に良くなりつつあるが、同国の国家警察が発表した2018年(暦年)の全国犯罪統計によれば,犯罪発生件数は約47.5万件を記録しており、発生件数は前年比で約4.5万件(約9%)減少しているものの、日本と比べれば犯罪件数は未だかなり多い状況となっている[注釈 12]

また、外国人に対しては「比較的裕福な人が多く、銃器も所持していない為に反撃をしてこない」と捉えられている点があり、犯罪の標的とされ易い面があるので、他の治安が悪い国や地域同様に同国を訪問する人間は長期滞在者・旅行者を問わず注意が必要となって来ることを留意しなければならない。加えて、警察の許可・登録を受けた合法的な銃器のほかに、登録切れや未登録の銃器や密造銃なども相当広く出回っている為、強盗・恐喝事件の犯人らがこれらの銃器を使用し犯罪を行うケースが多いという特徴があり[注釈 13]、さらに身代金目的の誘拐は警察が確認しているだけでも年間数十件発生しているとの報告がされている[83]。 

この節の加筆が望まれています。

人権詳細は「フィリピンにおける人権(英語版)」を参照

この節の加筆が望まれています。

メディア詳細は「フィリピンのメディア(英語版)」を参照

この節の加筆が望まれています。
「フィリピンのテレビ(英語版)」および「フィリピンのインターネット(英語版)」も参照
文化詳細は「フィリピンの文化(英語版)」を参照
食文化時計回り: ルンピア(Lumpia)、アドボ (Adobo)、ハロハロとシシグ(Sisig)詳細は「フィリピン料理」を参照

フィリピン料理は、中国料理やかつての宗主国であるスペイン料理アメリカ料理などの影響を受けている[84]。フィリピンは国際捕鯨委員会(IWC)を脱退しており、現在でも食用に捕鯨を行っている。
文学詳細は「フィリピン文学(英語版)」を参照

フィリピンの初の近代小説はペドロ・パルテノ(英語版)による『ニノイ(英語版)』(スペイン語: Ninay、1885年)によって幕を開き、そのすぐ後にスペイン語で書いた2作の小説、『ノリ・メ・タンヘレ(英語版)』(1886年)と『エル・フィリブステリスモ(英語版)』(1891年)でスペインによるフィリピン植民地支配を告発したホセ・リサールが現れた[85]米比戦争によって20世紀初頭にアメリカ合衆国に併合された後、公教育を通じて英語が教えられると、1925年ごろから英語による作品が書かれるようになり、また、1939年にフィリピン作家連盟が結成されている[86]。「フィリピン作家組合(英語版)」も参照

他方、20世紀前半の現地語による文学は大衆娯楽小説が主であり、第二次世界大戦中の日本占領期にタガログ語創作が奨励されたものの、第二次世界大戦終結後は再び英語が文学語として重視されるようになった[86]

20世紀後半の文学は英語、タガログ語、その他のフィリピン地方言語などの様々な現地語で書かれた[87]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:254 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef