日本では、1956年に日本コロムビア系列の日蓄工業よりエピック・レコードとして発売されたのが最初である。但し、この時点ではオランダ・フィリップス(以下、蘭フィリップス)との直接契約ではなく、米コロムビア経由の発売であった。[4]その為、エピック・レコードの中には、蘭フィリップスにはない米独自の原盤によるものも含まれていた。ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の録音など。日蓄工業は当初発売も販売も自社で行っており、1956年7月27日に日本レコード協会にも加盟していた。[5]
1959年3月新譜より日蓄工業の販売元が日本コロムビアに移り、エピック・レコードも日本コロムビアの月報に掲載されるようになった。[6]
その後、日本ビクター(現:JVCケンウッド)と蘭フィリップスが提携し、1960年10月新譜を第1回目として販売を開始する。国内でフィリップスのレーベルが登場したのはこの時が最初だった。尚、日本コロムビアから発売されていたエピック・レコードに関しては、蘭フィリップス原盤によるものはカタログから消えたが、米コロムビア原盤のものはそのまま日本コロムビアからの継続販売となっている。従ってエピックというレーベルが消滅したわけではない。[7]
1966年3月新譜より、国内制作の邦楽レコードの販売を開始。第1弾はザ・スパイダースの『ノー・ノー・ボーイ』だった。[8]邦楽制作開始当時は、新興楽譜出版社が原盤の共同制作に当たっていた。
1970年6月1日に蘭フィリップス、日本ビクター、松下電器産業(現:パナソニックホールディングス)の三社合弁で「日本フォノグラム株式会社」が設立され、日本ビクターから独立する。業務開始は同年6月21日からである。[9][注釈 8]
これに伴い、フィリップス・レコード月報の発行会社が、1970年7月号より従来の日本ビクターから日本フォノグラムに変更されている。
1984年に自社販売から、ポリドールに販売元を移管する。
1979年から1987年までは、「ベルテルスマン」が買収した「アリスタ・レコード」の発売を担当していた。その後、ポリグラムの買収によりグループの一社となる。海外アーティスト・クラシックの販売業務などについては1993年までに日本ポリグラムに事業移管される。1988年頃、邦楽部門から撤退。1992年から邦楽部門再開。8cmCD規格パーティには当初加盟しなかった。
1995年にマーキュリー・ミュージックエンタテインメントに社名変更し、2000年には親会社にあたるユニバーサルミュージックに事業譲渡して解散。レーベルおよび制作部門は旧キティ・エンタープライズと合流した社内カンパニー「キティMME」を経て「ユニバーサルシグマ」となっている。
PHILIPSロゴが停止したのに伴い、日本フォノグラム時代より発売されているキャロルのアルバムやCD選書などの旧譜のカタログは規格品番・価格変更はないが、随時ユニバーサルレーベルロゴと制作元のクレジットがユニバーサルミュージック・USMジャパンに変更された上で、製造出荷されている。
フィリップス・レコード、マーキュリー・ミュージックエンタテインメント、キティMMEからリリースされた楽曲の原盤権は、基本的にユニバーサル ミュージック ジャパンが承継している。
所属していたアーティスト
あ行
麻田ルミ
あみん(岡村孝子・加藤晴子)
石毛礼子
伊藤敏博
伊藤敏博とあみんの原盤権はヤマハミュージックパプリッシングが所持しているため、現在伊藤はテイチクエンタテインメントから、あみんはキングレコードから発売中。
泉アキ
泉ピン子
いんぐりもんぐり(邦楽撤退でポニーキャニオンへ移籍)
内田喜郎
江美早苗
大塚博堂
尾崎紀世彦
大橋純子( → EPIC・ソニー → バップ)
か行
柏原芳恵(デビュー当時より永らく所属 → 東芝EMI → フリーボード)
金子由香利
金子晴美