フィッシュマンズ
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茂木欣一(もてぎ きんいち、1967年12月15日 - )
ドラムスコーラス担当。再始動後の活動では楽曲によりメインヴォーカルを担当することもある。結成時から在籍。サークル「ソングライツ」では佐藤の2年後輩。時期は不詳ながら、遅くともハカセの脱退前からフィッシュマンズのリーダーに指名され、その任を担っている[9]2001年東京スカパラダイスオーケストラに正式に加入。MariMari rhythmkiller machinegunでもドラムスを担当している。柏原譲、加藤隆志(東京スカパラダイスオーケストラ)と「So many tears」を結成し活動している。
死去したメンバー
佐藤伸治(さとう しんじ、1966年2月16日 - 1999年3月15日
ボーカル、ギター、コルネット、楽曲のほぼ全ての作詞、作曲を担当。結成前は「時間」というアマチュアバンドに在籍していた。1999年3月15日に死去。33歳没。
過去のメンバー
小嶋謙介(おじま けんすけ、
1966年1月28日 - )
ギター、ボーカル担当。結成時から1994年まで在籍。一部の楽曲で作詞・作曲も手がけた。小嶋が作詞・作曲し自身の脱退後もフィッシュマンズのライブで演奏されていた楽曲としては「土曜日の夜」などがある。脱退後はグラフィックデザイナーとしてgreen.を立ち上げ、音楽・映画関連のデザインを行なっているほか、DJとしても活動している。1999年3月20日、佐藤の音楽葬にギターで参加。脱退以来となるフィッシュマンズのメンバーとの演奏を披露した。2005年のフィッシュマンズ再始動後はギタリストとしてライブに出演することがあり、フィッシュマンズ関連のアートワークを担当することもある[10]
ハカセ(はかせ、1967年 - )
キーボードサンプラー担当。1990年から1995年まで在籍。一部の楽曲で作詞・作曲やリミックスも手がけた。ハカセが作詞・作曲し自身の脱退後もフィッシュマンズのライブで演奏されていた楽曲としては「オアシスへようこそ」などがある。またレコード版『MELODY』に収録の「NIYABINGHI BABY」(のちにベストアルバム『空中』Disc-2にも収録)は「ハカセの手による自主REMIX作品集から、好評により取り上げられた一曲」である[11]。脱退後はソロ(HAKASE-SUN名義)やLITTLE TEMPOKODAMA AND THE DUB STATION BANDのメンバーとして活動している。1999年3月20日、佐藤の音楽葬にキーボードで参加。脱退以来となるフィッシュマンズのメンバーとの演奏を披露した。2009年からは再始動したフィッシュマンズのライブに参加している。
柏原譲(かしわばら ゆずる、1968年12月20日 - )
ベース、プログラミング担当。1988年から1998年まで在籍。サークル「ソングライツ」では佐藤の2年後輩であり、茂木の同期であった。1998年12月28日の「男達の別れ」ツアーファイナルをもってバンドを脱退し、音楽業界からも一時引退したが、佐藤の没後に復帰。2005年から再始動したフィッシュマンズの活動に参加しているほか、So many tears、 PolarisOTOUTAのメンバーとしての活動や、他のアーティストのプロデュース業も行っている。
久松
ベース、1987年夏から1988年5月3日まで在籍。留学を理由に脱退[12]。『空中』Disc-2の「Blue Summer (Demo 1987)」のベースは久松の演奏によるもの[13]
サポートメンバー
シュガー吉永(
1966年11月11日 - )
ギター担当。Buffalo Daughterのメンバー。小嶋脱退後、アルバム『ORANGE』のレコーディングにサポート参加。『空中キャンプ』では「SLOW DAYS」に参加している。また、『Oh! Mountain』ツアーファイナルである1995年5月13日の新宿LIQUID ROOMでの公演には、当時サポートギターを担当していた小暮が小沢健二の武道館公演のため参加できず、吉永が出演している[14]。 
木暮晋也1966年12月17日 - )
ギター担当。ヒックスヴィルのメンバー。ロッテンハッツ在籍時からメンバーと交流があり、小嶋の脱退後、小宮山聖と二人でライヴをサポートしていた時期がある。当時の演奏のうち、1994年12月21日に渋谷La.mamaで「ひこうき」にギターソロで参加した模様が『Oh! Mountain』に収録されている。なお、当日は小宮山が担当の公演であり、小暮は演奏の予定はなかったが、小暮が客席にいることを見つけた佐藤にギターを渡され、飛び入りで参加した[15]。1995年、「ワイキキビーチ/ハワイスタジオ」の立ち上げを手伝い、シングル『ナイトクルージング』?アルバム『空中キャンプ』の制作に携わる。シングル『BABY BLUE』のカップリングではヒックスヴィルが「SUNNY BLUE」のリミックス(「SUNNY BLUE(HICSVILLE MIX)」。後に『宇宙』Disc-2にも収録)を担当した。ヒックスヴィルの活動活発化に伴いフィッシュマンズの現場からは離れるが、2005年の再始動後はライヴに参加しており、その模様は『THE LONG SEASON REVUE』、『フィッシュマンズ - 2011/5/3 日比谷野外音楽堂LIVE "A PIECE OF FUTURE"』に収録されている。また、FISHMANS+名義として、ライヴ活動や『A PIECE OF FUTURE』に参加している。
小宮山聖(1966年12月28日 - )
ギター担当。ザ・カスタネッツのメンバー。明治学院大学のサークル「ソングライツ」では佐藤の後輩、茂木・柏原の同期という間柄であった[16]。アルバム『Oh! Mountain』期のライブにてサポート参加しており、同作品にその演奏が収録されている。
ダーツ関口(関口道生、1963年3月3日 - )
ギター担当。元SUPER BADTOMATOSのメンバー。1996年3月、小暮の後任として「若いながらも歴史あり」ツアー[17]に参加して以降、ライヴ及びレコーディングをサポート。『LONG SEASON』から『8月の現状』までのアルバム、シングル『SEASON』、『MAGIC LOVE』、『ゆらめき IN THE AIR』に参加。また、参加したライヴの音源としては『98.12.28 男達の別れ』、『LONG SEASON '96?7 96.12.26 赤坂 BLITZ』、『若いながらも歴史あり 96.3.2@新宿LIQUID ROOm』(リリース順)がある。2005年の再始動後もライブ出演しており、その模様は『THE LONG SEASON REVUE』に収録されている。
HONZI(1967年2月15日 - 2007年9月27日[18]
キーボード、ヴァイオリン担当。『Oh! Mountain』収録の「BABY PIANO MIX」にコーラスとピアノで参加して以降、ライヴ及びレコーディングをサポート。『空中キャンプ』から『8月の現状』までのアルバム、シングル『SEASON』、『MAGIC LOVE』、『ゆらめき IN THE AIR』に参加。また、参加したライヴの音源としては『98.12.28 男達の別れ』、『LONG SEASON '96?7 96.12.26 赤坂 BLITZ』、『若いながらも歴史あり 96.3.2 @新宿LIQUID ROOm』(リリース順)がある。2005年の再始動後もライブ出演しており、その模様は『THE LONG SEASON REVUE』に収録されている。自身のオリジナルアルバム『Two』(2000年)ではフィッシュマンズの「いい言葉ちょうだい」をカヴァーしている[19]。2007年9月27日死去。
zAk
サウンドミックス担当。フィッシュマンズの所属事務所「りぼん」の別のアーティストを手掛けていたマネージャーと知り合いだった縁からフィッシュマンズのライヴでPAエンジニアを担当することになり[20]、以降、バンドの信頼を得て強力なタッグを組むようになる。レコーディングエンジニアとしては1993年の3rdアルバム『Neo Yankees' Holiday』で初めて起用されて以降、『宇宙 日本 世田谷』までの全アルバムのエンジニアリングを手がける。また、4thアルバム『ORANGE』以降の作品では共同プロデューサーとしてもクレジットされている(「FISHMANS & ZAK」名義)。1997年、シングル『WALKING IN THE RHYTHM』の制作を最後にいったんフィッシュマンズの現場から離脱するが、アルバム『98.12.28 男達の別れ』においては録音・編集を担当した。2005年の再始動後、ライヴのPAエンジニアとして、また音源のリミックス・リマスタリングエンジニアとして参加している。
来歴
1985 - 1990年 : 結成
1985年(昭和60年)

佐藤が明治学院大学内の軽音楽サークル「ソングライツ」に入会する。入会当時はドラムスを担当[12]。小嶋が同大学の軽音楽サークル「L.M.S」に入会。入会当初からギターを担当。

1987年(昭和62年)

茂木、柏原が「ソングライツ」に入会。夏頃、大学内の定期演奏会に出場するために佐藤・小嶋・茂木の3名でフィッシュマンズを結成する。その後、ベースとして久松が加入[12]

1988年(昭和63年)

5月、久松が脱退。

8月、柏原が加入して4人編成となる。

12月、インディーズのオムニバスCDの参加依頼を受け、六本木MOD STUDIOにて
[21]翌年1月下旬まで2曲のレコーディングを実施。

1989年(平成元年)

3月21日、フィッシュマンズ初の公式レコーディング楽曲として「いなごが飛んでる」「Special Night」の2曲を収録したオムニバスアルバム、『PaNic PaRadise』発売。

夏頃、「りぼん」(事務所)と契約[22]

1990年(平成2年)

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