ユートピアという言葉は、1516年に出版されたイギリスの思想家トマス・モアの著作『ユートピア』(Utopia)で初めて直接的な文脈で用いられた。ユートピアという言葉は、ギリシア語の outopos(存在しない場所)と eutopos(良い場所)の両者に類似している。モアはラテン語で書かれた自身の著書の中で理想的な社会のビジョンを打ち出した。タイトルが示唆するように、作中では理想的な国家というものに関する両義的で皮肉な予測が示されている[2]。
トマス・モア以降のユートピア小説の例として、イングランドの文学者サミュエル・ジョンソンの『幸福の追求 アビニシアの王子ラセラスの物語』(The History of Rasselas, Prince of Abissinia)やイギリスの小説家サミュエル・バトラーの『エレホン』(Erewhon)などが挙げられるが、『エレホン』というタイトルにはnowhere(どこにもない)のアナグラムが用いられている[3][4]。また、『エレホン』は多くのユートピア文学と同様に風刺作品としても見ることができる。バトラーは病気と犯罪をひっくり返して、前者に罰を与え、後者に治療を施している[4]。英語で書かれたものだけでも1900年までに400以上、20世紀には新たに1000以上のユートピアに関する文学作品が出版された[3]。
ディストピア小説詳細は「ディストピア」を参照
ディストピアは大規模な貧困、国民の不信や疑念、警察国家、弾圧などの作者のエートスに完全に反する設定に焦点が当てられた社会である[1]。ほとんどのディストピア小説の作者は、しばしば実社会にある類似した問題に準えて、作中で物事がそうなってしまった理由を少なくとも1つは探求している。ディストピア文学は「それ以外のところでは疑問の余地がない、もしくは当然で避けられないと受け止められてしまう問題のある社会的・政治的な慣習に斬新な見方を示す」ために用いられる[5]。
ディストピアはたいてい現代社会の諸要素に基づいた予想により描かれるようなもので、これは現実の社会にある政治的な課題に対する警告と見ることができる。ロシアの作家エヴゲーニイ・ザミャーチンは、1921に出版した自身の著作『われら』の中で、社会が完全に論理に基づき、機械システムに倣って作られるポスト・アポカリプス的な未来を予測した[6]。イギリスの作家ジョージ・オーウェルが、終わりのない戦争状態にあり、住民はプロパガンダによって制御されているオセアニアを舞台とした小説『1984年』(Nineteen Eighty-Four)を執筆する際、ザミャーチンの『われら』から影響を受けた[7]。『1984年』の中では、ビッグ・ブラザーや二分間憎悪の日課により、自己検閲の風潮があらゆるところに行き渡っている。イギリスの著作家オルダス・ハクスリーの小説『すばらしい新世界』(Brave New World)はユートピア小説のパロディとして始まっており、強制的に納得させられ5つのカーストに分けられた人々が暮らす、産業が栄えた世界に焦点を当てている[6]。もう一人のディストピア文学の大立者として、イギリスの著作家ハーバート・ジョージ・ウェルズが挙げられるが、ウェルズが1895年に出版した小説『タイム・マシン』(The Time Machine)もまた広くディストピア文学のプロトタイプとして考えられている[3][6]。
1962年に出版されたイギリスの小説家アンソニー・バージェスの小説『時計じかけのオレンジ』(A Clockwork Orange)は、若者の間で過激な暴力行為が蔓延する未来のイングランドを舞台にしていて、気まぐれに主人公の性格を変えようとする国家で主人公が経験することについて詳述している[6]。カナダの作家マーガレット・アトウッドの小説『侍女の物語』(The Handmaid's Tale)では、全体主義的な神権政治によって支配された未来のアメリカが描かれていて、そこでは女性の権利が剥奪されている[6]。
ヤングアダルト向けのディストピア小説として、アメリカの小説家スーザン・コリンズの『ハンガー・ゲーム』(The Hunger Games)シリーズ、アメリカの作家ヴェロニカ・ロスの『ダイバージェント』(Divergent)シリーズ、アメリカの小説家ジェームズ・ダシュナーの『メイズ・ランナー』(The Maze Runner)、アメリカのSF作家スコット・ウエスターフェルドの『アグリーズ』(Uglies)シリーズなどが挙げられる[8]。 ディストピア文学の歴史は、1789年のフランス革命に対する反応や衆愚政治が独裁政治を生み出す見込みにまで遡ることができる。20世紀後半までディストピア文学はたいてい反全体主義的であった。ディストピア小説はユートピア小説に対する反応として現れたとされている[9]。キース・ブッカーはイギリスの小説家E・M・フォースターの「機械は止まる」(The Machine Stops)、ザミャーチンの『われら』、ハクスリーの『すばらしい新世界』を「現実世界の社会的・政治的問題との鮮明な関わりと、焦点が当てられている社会への批判の範囲において、ディストピア小説というジャンルを決定づけた偉大なテキスト」であると主張している[10]。
ディストピア小説の歴史