2003年8月、同じプリメーラ・ディビシオンのビジャレアルCFにレンタル移籍した。ボカ時代にチームメイトだったセバスティアン・バタグリアとルシアーノ・フィゲロアと再会し、さらにビジャレアルにはロドルフォ・アルアバレーナやフアン・パブロ・ソリンなどのアルゼンチン人選手も在籍していた。ベニート・フローロ監督がシーズン途中に退任し、チリ人のマヌエル・ペレグリーニ監督が就任すると、チームのキープレーヤーとして輝きを取り戻した。2003-04シーズンには33試合に出場して8得点し、UEFAカップではクラブ最高位のベスト4となった。2004年夏には本人の希望により、ユニフォームのネームを「RIQUELME」からボカ時代に慣れ親しんだ「ROMAN」に変更。2004-05シーズンはUEFAカップでベスト8となったほか、リーグ戦では35試合に出場して15得点し、25得点を挙げたディエゴ・フォルランが得点王に輝いた。ビジャレアルはクラブ史上最高位の3位となり、UEFAチャンピオンズリーグ予選3回戦の出場権を獲得した。マルカ紙は「もっとも芸術的な選手」にリケルメを選出し、またFIFA最優秀選手賞にノミネートされた。
2005年夏にバルセロナからのレンタル期間が終了したが、ビジャレアルはバルセロナに800万ユーロを支払って保有権の75%を購入し、リケルメと4年契約を結んだ[7][8]。クラブ間の契約書には、ビジャレアルから他クラブに移籍した際に発生する移籍金の25%がバルセロナに支払われるという条項が加えられた。2005-06シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではマンチェスター・ユナイテッドFC(イングランド)、SLベンフィカ(ポルトガル)、リール(フランス)と同組となり、初出場のビジャレアルはグループ首位での決勝トーナメント進出を決めた。グループ2位にはベンフィカが入り、強豪マンチェスター・ユナイテッドをグループリーグ敗退に追いやっている。バルセロナへの移籍金はリケルメの活躍次第で1000万ユーロまで上昇する条項が設けられており、@UEFAチャンピオンズリーグでグループリーグを突破する、A2005-06シーズンのリーグ戦を4位以内で終える、B2006-07シーズンのリーグ戦を4位以内で終える、の3つの場合にそれぞれ100万ユーロが支払われることになっていたが、ビジャレアルは@のみクリアしたため、計100万ユーロが移籍金に上乗せされている。UEFAチャンピオンズリーグの決勝トーナメント1回戦ではレンジャーズFC(スコットランド)、準々決勝ではインテル(イタリア)を破り、準決勝ではアーセナルFC(イングランド)と対戦したが、2ndレグの終盤にリケルメが蹴ったPKがイェンス・レーマンに止められ、スコアレスドローに終わった。1stレグに0-1で敗れていたため、2戦合計0-1でビジャレアルの敗退が決まった[9]。2006年5月7日にエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで行われたレアル・マドリード戦は、ジネディーヌ・ジダンにとってレアル・マドリードでの最後のホームゲームとなった。試合終了後の記者会見でジダンはリケルメのプレーを称賛しており、ふたりは更衣室への通路でユニフォーム交換を行なった[10]。
2006年9月24日、エスタディオ・エル・マドリガルでのレアル・サラゴサ戦 (3-2) でシーズン初得点を挙げた[11]。2006-07シーズン前半戦には他の選手、ペレグリーニ監督、クラブの首脳陣と確執を起こし、リーグ戦では13試合の出場にとどまり、コパ・デル・レイでは出場機会なしに終わった。 2007年2月、6月30日までの契約で古巣ボカにレンタル移籍した[12][13]。2月17日、クラウスーラ2007のCAロサリオ・セントラル戦 (1-1) でデビューを飾り、3月9日のCAインデペンディエンテ戦 (1-1) の54分に移籍後初得点となる同点ゴールを決めた[14]。同年のコパ・リベルタドーレスでは、3月22日に行なわれたデポルティーボ・トルーカFC戦 (3-0) で初得点を挙げた。ボカはグループリーグで勝ち点10を獲得し、グループ2位で決勝トーナメント進出を決めた。ラウンド16ではCAベレス・サルスフィエルドと対戦し、1stレグ (3-0) の試合開始1分に先制点を挙げて勝ち上がりに貢献。準々決勝ではリベルタ(パラグアイ)と対戦し、2ndレグの61分に先制点を挙げた。
ボカへのレンタル移籍