フアン・カルロス1世_(スペイン王)
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2014年6月2日午前、マリアーノ・ラホイ・ブレイ首相がフアン・カルロスの譲位決定を発表した[12][13]。ただし、この時点でスペインには国王の譲位に関する法的規定がなく、ラホイ首相は新国王の即位に向けた手続きのため、特別閣議を3日に招集した後、憲法などの改正案を国会に提出した[14]。この発表に対して、急進左派政党ポデモスは、王室についての国民投票の実施を求める声明を出した[15][16]。またSNSにて反王室のデモが呼びかけられ、2日午後8時(現地時間)に君主制廃止派により君主制維持の是非を問う国民投票の実施を訴える大規模なデモが、首都マドリードをはじめ各地で起こされた[17][18][19]。そのような情勢の中、6月18日上院下院とも圧倒的多数で「国王の退位に関する法律」を可決し、国王も退位の文書に署名した。この法律が発効する19日未明に、自動的にファン・カルロスは退位し、新国王フェリペ6世が即位した[20]

なお、譲位時にスペインで行われた世論調査によれば、王室の存続を問う国民投票が実施されたら、49%がフェリペ王太子の即位を支持、36%が共和制への移行に投票すると回答しており[21]、王室の存在についてスペインが分断している実情が浮き彫りとなった。
事実上の亡命

サウジアラビア高速鉄道の建設をめぐり、2012年にスペインの鉄道建設会社との取引仲介に対する見返りとして同国国王アブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズ(当時)の代理人より資金を得ていたとされており、在位時にパナマで設立された財団が持つスイスの銀行口座に預けられた後に一部が愛人に送金されたり、また財団が自家用ジェットのフライト費用数百万ユーロを支払うなど、資金洗浄に関与していた疑惑が取り沙汰されている[22]

一連の疑惑を受け、2020年3月に息子のフェリペ6世は父フアン・カルロスに対する年間手当19万4000ユーロ(約2300万円)の廃止と、相続財産を放棄することを発表し、距離を置く姿勢を示したものの、フェリペ6世自身もまたこの財団の受益者であったとされている(本人は否定)[23]。同年6月、スペイン最高裁は捜査を開始することを発表したが、在位時の免責特権があるため譲位後の疑惑に限定されたものの、疑惑にメスが入れられることとなった。

2020年8月3日、フアン・カルロスがスペイン国外に出国する意向であることが発表された[24]。スペインの報道機関は、フアン・カルロスがドミニカ共和国へ出国したと報じた[25]ものの、当のドミニカ共和国入管当局はフアン・カルロスが入国した記録はないと否定した[26]。このほか、逃亡先としてポルトガルアラブ首長国連邦を構成するアブダビなど諸説が報じられ[27]8月17日にスペイン王室は前国王の出国先がアラブ首長国連邦であると正式に発表した[28]2022年3月、検察当局は証拠不十分や時効などを理由にフアン・カルロスを訴追せず、捜査を終了した[29]
人物フアン・カルロス1世夫妻とジョージ・W・ブッシュ夫妻

ヨットの代表選手としてオリンピックに出場したこともある(ミュンヘンオリンピックで15位になり[30]、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}ジョークで「フアン・カルロス・スペイン1世・ミュンヘン15世」と呼ばれた[要出典])。また、アマチュア無線家としても知られる。コールサインはEA0JC(Juan Carlos)。

来日時に予定にない秋葉原での買い物を希望し、免税店になる以前のラオックスで電子部品を購入した。[要出典]

フェルナンド・アロンソなどスペイン人レーシングドライバーの参戦も多いF1や、スペインで人気が高いMotoGPの大ファンであり、F1やMotoGPのスペインGPには毎年のごとく来場している。モナコ大公アルベール2世などを例外として、一国の元首クラスの要人としては異例のことである。MotoGPライダーのアンヘル・ニエトとは友人であり、1982年のスペインGP前にはニエトを当時の最高峰クラスであるGP500クラスにスポット参戦させるため、自らスペインのホンダ現地法人を通じてホンダ・レーシング(HRC)にかけ合い、ニエト用にNS500を貸し出させたというエピソードもある[31]。また2008年のスペインGPでは、当時犬猿の仲だったダニ・ペドロサホルヘ・ロレンソの間の仲介に入り、表彰式で二人を半ば無理やり握手させた(これが契機となり、後に二人は和解している)[32]

2013年7月30日モロッコ国王ムハンマド6世が、モロッコ国内で犯罪を犯し、服役していたスペイン人48人に恩赦を与え、釈放した。この中には、4歳から15歳までの11人の児童を強姦した者も含まれており、モロッコ国内では強い反対があった。モロッコ法務省は、この恩赦がフアン・カルロスの要請に基づくものであるとしている。一方、スペイン王室は、釈放を求めたことを否定し、モロッコで服役しているスペイン人受刑者の処遇について関心をよせたに過ぎないとしている[33]。この恩赦は、8月4日に取り消されている[34]

家族

即位以前の1962年ギリシャ国王パウロス1世の王女ソフィア1938年 - )と結婚した。1男2女がいる。
エレナ1963年 - ) ルーゴ女公爵。1995年にナバラバスク系貴族ハイメ・デ・マリチャラルと結婚。2009年離婚。

クリスティーナ1965年 - ) 1997年にプロ・ハンドボール選手イニャキ・ウルダンガリンと結婚。


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