フアン・アントニオ・バルデム
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これを機にスペイン各地に映画クラブが誕生し、サラマンカ国民映画会議はスペイン映画史における歴史的事件のひとつとなった[13]

1955年の第8回カンヌ国際映画祭では審査員を務めた。1955年の『恐怖の逢びき』と1956年の『大通り』は1950年代のスペイン映画を代表する作品であり[3]、スペイン映画史に残る不朽の名作とされている[5]。『恐怖の逢びき』は人妻とその浮気相手が起こしたひき逃げ事件を描いたサスペンス映画であり、同年のカンヌ国際映画祭で国際映画批評家連盟(FIPRESCI)賞を受賞した[14][4]。カルロス・アルニーチェスの戯曲を原作とする『大通り』では撮影中に逮捕された事件もあったが[4]ヴェネツィア国際映画祭の国際映画批評家連盟賞を受賞した[15]。1958年には『La vengeanza』でアカデミー外国語映画賞にノミネートされ、この作品は第11回カンヌ国際映画祭にも出品された。
フランコ体制下

1958年には制作会社のウニチを共同設立して社長となり、この会社は亡命していたルイス・ブニュエル監督が久々にスペインで撮った『ビリディアナ』(1961年)を制作した[4]。コメディ映画を得意としたベルランガとは対照的に、バルデムはシリアスなドラマ映画を得意としたが、フランコ独裁政権下では検閲の影響で思うような映画が取れなかった。バルデム自身はフランコ体制下で公には存在が認められていないスペイン共産党(PCE)員だった。1962年の『無実の人』はどうしても検閲に通らなかったため、アルゼンチンに赴いて撮影した[16]。1963年には第13回ベルリン国際映画祭にこの作品が出品されている。スペイン帰国後にはかつての『大通り』に近い『何も起こりはしない』を撮影したが、1960年代前半の作品はいずれも興行的には成功しなかった[16]

1965年の『太陽が目にしみる』はA・F・レイの小説『自動ピアノ』を原作とするドラマ映画であり、日本人女優の岸恵子が出演、第18回カンヌ国際映画祭に出品された。1977年の『橋』にはピンク・コメディ女優のアルフレド・ランダを主演に抜擢し、ランダがシリアスな役でも活躍できることを示した[17]。この映画では第10回モスクワ国際映画祭で金賞を受賞し[18]、1979年の『1月の7日間』は第11回モスクワ国際映画祭で再び金賞を受賞した[19]。この作品は4人の労働法専門家が極右活動家に殺害されたアトーチャの殺人(スペイン語版)に関するドラマ映画である[20]
民主化後

映画監督として多作ではあるものの、1950年代の名作の数々以降は成功した作品は少なく、検閲が撤廃された民主化後の作品も凡庸な出来だったとされている[5]。1981年には第12回モスクワ国際映画祭の審査員を務めている[21]。日本で初めて体系的にスペイン映画が紹介された第1回スペイン映画祭(1984年、渋谷東急名画座)では、ベルランガ、サウラ、アラゴン、イマノル・ウリベらとともに日本を訪れている[22]。1993年には第43回ベルリン国際映画祭の審査員を務めた[23]。1990年代中頃からはスペイン映画監督組合の会長を務めた[4]

2002年10月30日、肝臓疾患のために死去した。80歳だった。同年度には生前の功績に対して名誉ゴヤ賞が贈られた。2011年にはマドリード・ウォーク・オブ・フェーム(スペイン語版)(25+1人)のひとりに選ばれた[24][25]
家族

バルデム家はスペインでも有名な芸能一家である。父親のラファエル・バルデム(スペイン語版)は映画と舞台で活躍した俳優であり、母親のマティルデ・ムニョス・サンペドロ(スペイン語版)は女優だった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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