アル・ファーラービーはほとんどをバグダードで過ごした。イブン・ウサイビアによって保存された自叙の一節で、アル・ファーラービーはユハンナー・ビン・ハイラーンの下で『分析論後書』などの論理学、医学、社会学を学んだ。すなわち、伝統的教程に従って、ポルピュリオスの『エイサゴーゲー』、アリストテレスの『カテゴリアイ』『命題論』『分析論前・後書』を学んでいった。彼の師であるユーハンナー・ビン・ハイラーンはアッシリア教会の聖職者であった。おそらくアル・ムクタディルの治世中にユーハンナーが没するまで、その期間は続いたとアル・マスウーディーは記録している。彼は少なくとも942年9月末まではバグダードにいたと、『有徳都市の住民がもつ見解の諸原理』で述べている。彼はその翌年に、つまり943年9月までにダマスカスでこの本を完成させた。彼はしばらくアレッポに住み、のちにエジプトを訪れ、『諸原理』の6セクションをまとめて948年7月-から949年6月に要約し、シリアに戻り、ハムダーン朝の支配者サイフ・ッダウラの支援を受けた。アル・ファーラービーは339回目のラジャブ月(950年12月14日から951年1月12日)にダマスカスで死去した、とアル・マスウーディーはこの出来事の5年後に書き記した。 彼は『エリクサーの技術の必然性』という書を書いた。 彼は主にアリストテレス的論理学者であったが、著作には多くの非アリストテレス的要素が含まれている。未来の条件、数、カテゴリーの関係、論理学と文法学の関係などのトピックや非アリストテレス形式の推論を議論した。また、仮言三段論法と類推的推論の理論を考察した。これはアリストテレスではなく、ストア派論理学の伝統である。他にアリストテレスの詩学に三段論法の概念を導入した。 アル・ファーラービーの主著の一つに『命題論注解』がある。 『音楽の書』のにおいて、音楽についての哲学的な原理や、その広大な性質や影響について書いた。また音楽が心理に及ぼす治療効果について議論した『知性の意味』という論文を書いた。 初期イスラーム哲学において「ファーラービー学派」として知られる学派の創設者であったが、のちにはイブン・スィーナー学派によって影響力を落とした。アル・ファーラービーは数世紀にわたって哲学・科学に大きな影響を及ばした。その時代において彼は「第二のアリストテレス」と呼ばれた。 『真空について』という短い論文を書き、虚空の存在の性質について考察した。彼はまた真空の存在に関して、水中での吸引機を使った最初の実験を行ったと目されている。彼の結論は、空気は利用可能な空間を埋めるために拡張できるということであり、完全な真空は不合理だということだった。 『都政論』『有徳都市』で社会的心理学の原理を書いた。また『有徳都市』24章に名の出ている『夢の原因について』という論文では夢解釈と夢の性質と原因を弁別した。
著作
錬金術
論理学
音楽
哲学
自然学
心理(霊魂)学
関連項目
イスラーム哲学
ガザーリー
アリストテレス
ネオプラトニズム
スコラ哲学
ファーラービー国際賞
全般
⇒FAST
ISNI
VIAF
WorldCat
国立図書館
ノルウェー
⇒スペイン
フランス
BnF data