ファンタジーの定義を広く「仮想の設定のもとに世界を構築する作品」とし、SFをサイエンス・ファンタジーとしてファンタジーに含める考え方もある。SFとファンタジー双方の作品を発表する作家であるアン・マキャフリイなどは、SFはファンタジーのサブジャンルであると度々語っている。
また逆に、現代文学におけるファンタジーの形成と再評価の相当な部分、特にパルプ・マガジンに代表される(児童文学に分類されない)大人向けの部分の多くが、先行して市場が形成されていたサイエンス・フィクションの市場の枠内で行われてきたという歴史的な経緯から、ファンタジーをSFの有力な一分派とする考え方もある。サイエンス・フィクション研究家であるフォレスト・J・アッカーマンやSF作家でSF史の著書もあるブライアン・オールディスなどもこの見解である。
どちらも極論ではあるが、この両者は明確な境界が存在し得ないほど類似している。これらを包括した呼称として「スペキュレイティブ・フィクション」がある。
なお、ファンタジー的(ファンタジーの性質をもつ、幻想的)を意味する英語の形容詞は「ファンタスティック」 (fantastic) 、「ファンタスティカル」 (fantastical) であり、日本語圏で時として使われる「ファンタジック」という語彙は本来の英語では誤りとなる和製英語である[5]。ヘレナ・ブロンクビスト(スウェーデン語版)撮影「The Elephant Girl」2011年
超自然現象を扱った作品は「スーパーナチュラル」に分類されるが、ファンタジー要素を含む作品もあり境界は曖昧である。 ファンタジーの特徴として語彙や用語にこだわる形式主義がある。架空の設定に一貫性と堅牢な構造を持たせ、複雑な思想を伝えるために選択された歴史を持つ。例えば、日本の児童文学研究者である石井桃子は『子どもと文学』(1960年)のファンタジーの章でそう指摘している。 同時に外観から思想や宗教寄りの傾向に対する批判もある。例えばフィリップ・プルマン(1946年 - )やJ・K・ローリング(1965年 - )は、作中にキリスト教的ドグマの込められた『ナルニア国物語』(1950年-1952年)に対して強固に批判を行っている。今日の文芸に対しては迂遠な思想よりも現実の社会が有する問題に個人がどう対応するか示唆が求められている。 ここから形式主義を利用した新しい創作者たちは、現実と思想の両方の受容により問題へ対応する修辞を作品の主題にしており、これに対しては作品自体が大人である作者の執筆論に終始している、さらにミーイズムへ深化しているとの批判がある。作家のさねとうあきらは『超激暗爆笑鼎談・何だ難だ!児童文学』(2000年 星雲社)でファンタジーの「不連続性」を指摘している。 この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2015年3月) 文学史の中にファンタジーの起源を求めると、古代・中世の書物に記された神話や伝説、英雄物語などに行き着く[要出典]。例えば『ベーオウルフ』、『ニーベルンゲンの歌』、中世ロマンス、アーサー王伝説群などが挙げられる。 そして、これらの神話伝説を素材として編まれた数々の文学作品がファンタジーの源流となり、また、ファンタジーの系譜にはイソップ童話のような童話から児童文学につながる流れもある[要出典]。 近代文学におけるファンタジーは、19世紀から20世紀初頭にかけて隆盛を誇ったリアリズム文学に対するアンチテーゼとして出発している[要検証 – ノート]。
ファンタジーの特徴
文学におけるファンタジーダンテ『神曲』の挿絵、ギュスターヴ・ドレ画
ファンタジーの源流