ファンク(funk)は、音楽ジャンルの1つであり、アフリカ系アメリカ人(黒人)起源のブラック・ミュージックのジャンルである。 ファンキーとファンクの違いは、ファンキーがアメリカ南部の田舎を連想させるのに対し、ファンクは都会的な印象を与える点に特徴がある[4]。ファンキーは、60年代にファンクが誕生する以前の50年代に、すでにファンキー・ジャズ(ソウル・ジャズ)に対して使われていた[5]。ファンク、R&Bなどの音楽用語は、黒人生活全般を指す面があった。英和辞典的な解釈では、”ジャズをベースにしたビートの強い音楽”[6]という訳語もある。体臭やセックスの匂いを、ファンキー・スメルと呼ぶ場合があり、「ファンク」という言葉は感覚的な言葉であり、明確に日本語に訳すことは難しい[7]。 ファンクは1960年代(1964年ごろ)にジェームス・ブラウン[8]の曲「アウト・オブ・サイト」が契機となり、原型が形成された[注 1][注 2]。ジェームス・ブラウンのファンクは、西アフリカのポリリズムと、戦前アメリカのアフロアメリカンによるワーク・ソングからの影響が指摘されている[9]。その後、ベーシストのブーツィー・コリンズ[10]が、ジョージ・クリントン[注 3]によりPファンクに招かれ、Pファンク黄金時代を築き上げた(Pファンクを参照)。一方、1970年代初頭サンフランシスコから、白人・黒人混成バンドスライ&ザ・ファミリー・ストーンが登場し、彼らのロック的要素を取り入れたファンクが、白人にも受け入れられるようになった[11][12]。また、ファンクはラテンとも融合し、ウォーの曲「シスコ・キッド」(1972年)のようなラテン・ファンクがうまれた。ファンクはアフリカへも紹介され、ファンクにアフリカのリズムも融合したアフロビートへ繋がり、フェラ・クティやマヌ・ディバンゴらにより発展していった[13]。 ファンクは1970年代前半にはポップ、ソウル・チャートともに好調だった。だが、1970年代後半には、ディスコ・ブーム[注 4]により、ファンクは一時的に後退期を迎える。
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