ファンクは1960年代(1964年ごろ)にジェームス・ブラウン[8]の曲「アウト・オブ・サイト」が契機となり、原型が形成された[注 1][注 2]。ジェームス・ブラウンのファンクは、西アフリカのポリリズムと、戦前アメリカのアフロアメリカンによるワーク・ソングからの影響が指摘されている[9]。その後、ベーシストのブーツィー・コリンズ[10]が、ジョージ・クリントン[注 3]によりPファンクに招かれ、Pファンク黄金時代を築き上げた(Pファンクを参照)。一方、1970年代初頭サンフランシスコから、白人・黒人混成バンドスライ&ザ・ファミリー・ストーンが登場し、彼らのロック的要素を取り入れたファンクが、白人にも受け入れられるようになった[11][12]。また、ファンクはラテンとも融合し、ウォーの曲「シスコ・キッド」(1972年)のようなラテン・ファンクがうまれた。ファンクはアフリカへも紹介され、ファンクにアフリカのリズムも融合したアフロビートへ繋がり、フェラ・クティやマヌ・ディバンゴらにより発展していった[13]。
ファンクは1970年代前半にはポップ、ソウル・チャートともに好調だった。だが、1970年代後半には、ディスコ・ブーム[注 4]により、ファンクは一時的に後退期を迎える。1980年代前半でもソウル・チャートでは人気だったが、1980年代後半にはニュー・ジャック・スウィングやグラウンド・ビート[注 5]、ハウスなどの台頭により、ファンクは勢いを失っていった。 1960年代前半にジェームス・ブラウンが「アウト・オブ・サイト」を発表した後、ブルース・ミュージシャンがいち早く反応し、ローウェル・フルソンの曲「トランプ」に象徴される「ファンク・ブルース」が生まれた[14]。1960年代末から1970年代初頭にはスライ&ザ・ファミリー・ストーン[15]が、白人にも受け入れられるようなロックの要素をファンクに取り入れ、ウッドストックへの出演もあいまって、人気グループとなった。さらに1970年代には、ジョージ・クリントンがPファンク(パーラメント - ファンカデリック)として活動し、黒人層を中心に支持された[16]。その他の1970年代ファンクの代表的アーティストとしては、ブーツィー・コリンズ(Pファンク)、クール・アンド・ザ・ギャング、オハイオ・プレイヤーズ、BTエクスプレス[17]、ジミー・キャスター・バンチ[注 6]、ジョー・テックス、ブリック[注 7]、グラハム・セントラル・ステーション[18]、アース・ウィンド・アンド・ファイアー、スレイブ[注 8]、ファットバック、ヴァーノン・バーチ、コモドアーズ[注 9](デビュー時)などが挙げられる。 1980年代に入るとザップ[19]とロジャー・トラウトマン、プリンス、リック・ジェームスがファンク界を牽引する存在となった。他にもバーケイズ、カメオ、コン・ファンク・シャン、ワン・ウェイ、レイクサイド、ダズ・バンド、ギャップ・バンド、オーラ[20]らのファンク・アーティストが、ソウル・チャートを中心に人気となった。だが、1980年代後半から1990年代、2000年代とファンクは不振だった。2010年代の前半まではファンクは消滅したような状態だったが、2010年代の後半に入ってマーク・ロンソン[注 10]、ブルーノ・マーズ[注 11]らが1980年代風のファンク曲をヒットさせ、話題となった。 ファンクはジャズ・シーンにも大きな影響を与え、マイルス・デイヴィスやハービー・ハンコック、ジミー・スミス、オーネット・コールマン(フリー・ファンク)[注 12]、ヘッドハンターズなどがファンクを取り入れ、彼らのサウンドはジャズ・ファンクと呼ばれた[21]。
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