また、本作はフランスの冒険家で武器密売人でもあったアンリ・ド・モンフレイの著書、特に『紅海の秘密(Secrets of the Red Sea)』と『ハシシュ・クルーズ(The Hashish Cruise)』からも影響を受けている。子供時代に第一次世界大戦を経験しているエルジェは武器商人を嫌い、本作に登場する武器商人はモンフレイがモデルとなっている[9]。ミイラ化した死体が壁に沿って並べ立てられているというアイデアは、ピエール・ブノアの1919年の代表作『アトランティード』から取られたものであり、1932年にゲオルク・ヴィルヘルム・パープストによって映画化(『アトランティド』)されたものであった[10]。また、掲載誌の表紙に描かれた壁画はパリのルーヴル美術館にあるハトホルとセティ1世のレリーフがモデルになっており、タンタンの夢の中で登場するファラオの玉座はツタンカーメンの墓にあったものがモデルである[10]。麻薬密輸を行う秘密結社というアイデアは、フリーメイソンに関する右派の陰謀論に影響を受けたものであった[11]。エルジェは過激派雑誌『Le Crapouillot』に掲載されたルシアン・ファヌー=レイノーの1932年の記事を元にしたと見られている[12]。 1932年11月24日、『20世紀子ども新聞』誌上にて、タンタンとジャマンのインタビュー記事という形で、今度の冒険先はエジプトから始まり、インド、セイロン、インドシナを経由して、最終的に中国に向かうという発表が行われた[13]。その後、12月8日に『記者タンタンの冒険、東洋へ』というタイトルで『20世紀子ども新聞』誌にて連載が始まった[14]。物語の開始が中国ではなくエジプトからであったため、エルジェは一時的に『カイロ事件』というタイトルにしていた[15]。今までと同じように物語は事前に考えられていたプロットには従わず、1週間毎にエルジェがストーリーを考案するというスタイルであった[16]。本作の書籍としての出版は、1934年2月の最終回前に、1933年末にはカステルマン
オリジナル版(1932年-1934年)
本作では後のシリーズにおいてレギュラー化したり、何度か再登場するキャラクターがいる[19]。その中で最も重要なキャラクターが2人組の刑事「デュポンとデュボン(Dupont and Dupond)」である。彼らは当初「エージェントX33とエージェントX33 bis(Agent X33 and Agent X33 bis)」と呼ばれていた。1941年にジャック・ヴァン・メルケベックと共同執筆した『Tintin in India: The Mystery of the Blue Diamond(タンタン インドへ行く:青いダイヤモンドの謎)』でも登場し、この時は「デュランとデュラン(Durant and Durand)」と名付けられたが、その後に、現在のデュポンとデュボンになった[20]。そのキャラクター像は、1930年代のステレオタイプなベルギーの警官に、エルジェの一卵性双生児であった父と叔父(アレクシス・レミとレオン・レミ)を掛け合わせたものであった[21]。
以降のシリーズでも、しばしば敵役として登場するロベルト・ラスタポプロスが本作で初登場した。本作では著名な映画会社社長として何度か作中に現れるのみだが、次作『青い蓮』にて、実は国際的な犯罪組織のボスであり、本作の黒幕であったことが明かされる。彼の名前はエルジェの友人の一人が考えたものであり、面白いと思ったエルジェが採用したものであった[22]。設定上はギリシャ姓のイタリア人となっている。また、その造詣はステレオタイプの反ユダヤ主義者が基になっており、エルジェは彼はユダヤ人ではないと完全に否定している[23]。次に、後にも登場するキャラクターがポルトガル人の商人オリベイラであり、彼はその後、中東を舞台とした『燃える水の国』『紅海のサメ』で再登場する[24]。本作の物語における中心人物であるフィレモン・サイクロン自体は、本作のみの登場であるが、奇抜な学者というステレオタイプは、後に『レッド・ラッカムの宝』から登場してレギュラーキャラクターとなるビーカー教授(英語版)の原型である[25]。
本作の連載中にヴァレーズが公共事業局の名誉を傷つけたとして告発を受けるというスキャンダルが起きた。新聞社を相手に訴訟が起こされ、社主はヴァレーズに辞任を要求し、これは1933年8月に成立した[26]。